2010年9月30日木曜日

ヒギンスさんととけい










「ヒギンスさんととけい」(パット・ハッチンス/作 たなかのぶひこ/訳 ほるぷ出版 2006 )

ある日、ヒギンスさんは屋根裏部屋で大きな時計をみつけました。時計がちゃんとあっているかどうか確かめるために、ヒギンスさんは時計をひとつ買ってきて寝室におきました。寝室の時計がちょうど3時をさしていたので、いそいで屋根裏部屋にいくと、屋根裏部屋の時計は3時1分をさしていました。

ヒギンスさんはもうひとつ時計を買ってきて台所におきます。台所の時計が4時10分前のとき、屋根裏部屋の時計をみにいくと4時8分前、いそいで寝室にいってみると寝室の時計は4時7分前でした。そこで、ヒギンスさんはもうひとつ時計を買ってきて──。

どの時計が正しいのかさっぱりわからなくなってしまったヒギンスさんのお話。「時」というものがどんなものか、素晴らしい明快さでえがかれています。巻末には、作者のこんなことばが載せられています。

「私は子どもだからといって、調子を下げるつもりはありません。ただ、物語が論理的にきちんとしていることを心がけています」

時計の読みかたをおぼえる絵本としてもつかえるかもしれません。小学校低学年向き。

私の船長さん












「私の船長さん」(M.B.ゴフスタイン/作 谷川俊太郎/訳 ジー・シー 1996)

私のいる棚の下の窓枠には、いっそうの漁船がいかりを下ろしています。そこからは、潮の香りがただよってきます。私は、なぜか船長さんが私に会いに上がってくるような気がします。そして、私は思います。彼はすぐに気づくだろう。私がビンのなかの船をもっていることや、貝がらをあつめていることに――。

小さな人形の〈私〉が、船長との静かな恋を想いえがく、という絵本です。人形の〈私〉は、こんなことを思います。

《もし私が船長さんに
 何かをすすめるとして、
 テーブルにブリストルのお皿と
 銀の塩とコショウ入れをならべたら、
 彼はきっと自分の運のよさに
 びっくりすることだろう!》

シンプルこの上ない線画とことばが、読む者の胸に迫ります。大人向き。

2010年9月28日火曜日

小さな乗合い馬車










「小さな乗合い馬車」(グレアム・グリーン/文 エドワード・アーディゾーニ/絵 阿川弘之/訳 文化出版局 1976)

ポッターおじさんの店には、店員が3人、配達小僧のティム、ネズミよけのネコが3匹、それからブランディという名前の子馬が1頭いました。ブランディは、前のもち主にいじめられていたので、ポッターさんはこの馬を買いとり、店の裏庭で子どもたちの遊び相手をさせていました。ある日、道のむこうに「えいせい商会かぶしき会社」という、大きな新しい食料品屋ができました。そのため、おじさんの商売はだんだん苦しくなっていき、店員はひとりまたひとりといなくなってしまいました。しまいには3匹のネコまでがいなくなり、小僧のティムだけが残りました。

「えいせい商会」では、お客さんの買い物を2輪馬車で配達します。2輪馬車がうちの前に停まると、大人たちは自分がえらくなったような気がするのです。いっぽう、すっかり落ちこんで、眠れない夜をすごしていたポッターおじさんは、倉庫から小さな乗合い馬車をみつけます。おじさんは、ティムを御者にし、ブランディに乗合い馬車を引かせることを思いつきますが、店に客はもどってきません。ところが、このあと大事件が起こります──。

「第三の男」などで高名なグレアム・グリーンの原作による絵本です。話はこのあと、「えいせい商会」の売上金を狙った盗難事件と、泥棒を追いかけるブランディと小さな乗合い馬車の活躍へと続きます。途中から、小さな乗合い馬車が人格をもったように描かれているのが、少し不思議なところです。小学校中学年向き。

あなただけのちいさないえ












「あなただけのちいさないえ」(ベアトリス・シェンク・ド・レーニエ/文 アイリーン・ハース/絵 ほしかわなつよ/訳 童話館出版 2001)

ひとはだれでも、自分だけの小さな家をもつ必要がある──ということを説いた絵本です。

《ひとはだれでも、そのひとだけの家を
 もつ必要があります。
 もちろん、あなたは、
 お母さんやお父さんと一緒にあなたの
 家に住んでいますね。
 でも、わたしがいっているのは、
 そういうことではありません。》

大きなカサは申しぶんのない家になるし、やぶの後ろのくぼみは、小さな素敵な家になります。少しのあいだなら、ベッドの毛布の下に小さな家をつくることができます。お父さんが新聞のかげにいるときは、お父さんはお父さんだけの小さな家にいるのだし、お母さんがうたたねいているときは、お母さんはお母さんだけの小さな家にいるのです。

《あなたは、みんなとはなれて
 ひとりになりたいと思うときがあります。
 子どもたちと一緒でもなく、
 大人のひとと一緒でもなく、
 だれにも、なんにも、うるさくされずに、
 そんなとき、あなただけの
 小さな家をもっているのはよいことです》

文章はシンプルで論理的。線画によるさし絵が、文章によくアクセントをつけています。読むと、ひとはだれでも自分だけの小さな家が必要なのだと納得することでしょう。小学校中学年向き。

2010年9月25日土曜日

おひさまがしずむよるがくる












「おひさまがしずむよるがくる」(ローラ・ルーク/文 オラ・アイタン/絵 うちだりさこ/訳 福音館書店 1996)

きょうはもうおしまい。遊ぶのもおしまい。お日様は沈み、そとは夕方。夜はすぐそこ。

《よるが きた
 おつきさまが のぞいている
 「さあ ねましょうね」
  かあさんが いうの

 よるが きた
 こおろぎが ないている
 「たのしい ゆめが まってるわ」
 かあさんが いうの》

夕方から夜になり、ぼうやがベッドにつくまでをえがいた絵本です。文章は引用したとおり、静かで詩的なもの。絵を描いたオラ・アイタンはイスラエルのひとで、その絵は落ち着いているにもかかわらず色鮮やかです。そして、色鮮やかにもかかわらず、夕方から夜になる感じがでています。小学校低学年向き。

2010年9月22日水曜日

アップルパイをつくりましょ りょこうもいっしょにしちゃいましょ











「アップルパイをつくりましょ りょこうもいっしょにしちゃいましょ」(マージョリー・プライスマン/作 かどのえいこ/訳 ブックローン出版 1996)

アップルパイのつくりかたは簡単。マーケットにいって、材料を買って、それを全部一緒にして、よーく混ぜて、オーブンで焼いたらできあがり。でも、もしも、マーケットがお休みだったら――。6日間船に乗り、イタリアに渡って、田舎のそのまた田舎にいって、上等の麦を手に入れましょう。それから、フランスいきの汽車に乗り、玉子をいただいちゃいましょう。でも、途中で割れたら困るから、ニワトリさんごと連れてきましょう。大急ぎでヨットに乗ってスリランカへ。クルンドっていう木の皮から、世界一上等のシナモンがとれるの。上陸したら、よそ見をしないでまっすぐジャングルへ。クルンドをみつけたら、ちょっぴり皮をはがすのよ──。

アップルパイの材料をもとめて世界中を旅するお話。女の子の軽快な語り口が魅力的です。このあと、女の子はイギリスでミルクを、ジャマイカの海で塩を、陸でサトウキビを、アメリカのバーモンドでリンゴを手に入れて、いよいよアップルパイづくりにとりかかります。見開きに世界地図があるので、どこを旅したのかわかるようになっています。また、巻末にはアップルパイのレシピが載っています。小学校低学年向き。

2010年9月21日火曜日

うしとトッケビ












「うしとトッケビ」(イ サン 文 ハン ビョンホ 絵 アートン新社 2004)

ある山里にトルセという薪売りがいました。親も親戚もなく、普段はごろごろ遊んで暮らし、食べものがなくなると、山へいって薪を売って暮らしていました。そんなトルセには、財産を丸ごと売って手に入れた牛がいました。トルセはこの牛をとても大切にしていました。ある冬の日、トルセが牛を連れて市場によって帰る途中、天気が悪くなり、あたりが暗くなってきました。そこへ突然、森のなかから一匹のおかしな生きものが飛びだしてきました。それはトッケビの子どもでした。

トッケビの子どもは、イヌに尻尾を噛まれてしまい、術をつかって家に帰ることもできません。トッケビの子どもは訴えます。「ふた月のあいだ、この牛のお腹に入れてください。代わりに、牛の力をいまの10倍強くしてさしあげます」。断ればトッケビの子は凍えて死んでしまうでしょうし、牛が10倍も力もちになるなんて悪い話ではなさそうです。トルセがトッケビ申し出を承諾すると、トッケビの子は大喜びで、牛の口からお腹に飛びこみます──。

韓国の童話を絵本にしたものです。トッケビが牛のお腹に飛びこむと、牛の力はほんとうに10倍になり、トルセは力もちの牛を連れて歩くのが楽しくて、一所懸命薪を売りにでかけて、お金もたくさんたまります。ですが、ふた月たって、太ってしまったトッケビの子は牛のお腹からでられなくなってしまって…と物語は続きます。絵は、ディフォルメの効いたパステル画。訳者解説によれば、、この「牛とトッケビ」は、豊島与志雄の「天下一の馬」(「赤い鳥」1924年3月)を翻案したものだということです。ですが、「天下一の馬」自体も、西洋の物語が加わってできた話ではないかと、訳者の大竹聖美さんは怪しんでいます。小学校低学年向き。

2010年9月17日金曜日

おさらをあらわなかったおじさん












「おさらをあらわなかったおじさん」(フィリス・クラジラフスキー/文 バーバラ・クーニー/絵 光吉夏弥/訳 岩波書店 1978)

町はずれの小さな家に、おじさんが住んでいました。おじさんはひとりっきりで暮らしていたので、いつも自分で晩ごはんをつくり、自分で掃除をし、自分で寝床のしたくをしていました。ある晩、いつもよりずっとお腹をすかせて帰ってきたおじさんは、うんとたくさん晩ご飯をつくりました。けれど、あんまりたくさんだったので、食べ終わったときには、お腹がはち切れそうになり、すっかりくたびれてしまいました。そこで、お皿は流しに放っておいて、あすの晩洗うことにしました。

ところが次の晩、おじさんは倍もお腹をすかせていたので、倍も晩ごはんをつくり、そして食べ終わったときにはすっかりくたびれてしまったので、お皿はまた流しに入れたままにします。それから、洗わないお皿はどんどん増え続け、流しからあふれ、テーブルを占領し、ついには部屋を埋めつくしてしまいます。

タイトル通り、お皿をあらわなかったおじさんのお話です。どんどん状況がエスカレートしていくさまが楽しいです。クーニーの絵が、ともすると品が悪くなってしまうお話を品のよいものにしています。小学校低学年向き。

2010年9月16日木曜日

ちいさいちいさいおばあさん










「ちいさいちいさいおばあさん」(ポール・ガルドン/作 はるみこうへい/訳 童話館出版 2001)

昔むかし、小さい小さい村の、小さい小さい家に、小さい小さいおばあさんが住んでいました。ある日のこと、小さい小さいおばあさんは、小さい小さい帽子をかぶり、小さい小さい家をでて、散歩にでかけました──。

散歩にでかけたおばあさんは、教会の墓地で、小さい小さい骨をみつけます。この骨でスープをつくろうと思ったおばあさんは、骨をもち帰り、戸棚にしまうのですが、その夜、戸棚から小さい小さい声が聞こえてきます…。

イギリスの昔話をもとにした、少々怖い絵本です。「小さい小さい」のくり返しが楽しく、また戸棚から聞こえてくる声とおばあさんとのやりとりが、怖いながらもユーモラスにえがかれています。小学校低学年向き。

2010年9月15日水曜日

あなはほるものおっこちるとこ












「あなはほるものおっこちるとこ」(ルース・クラウス/文 モーリス・センダック/絵 わたなべしげお/訳 岩波書店 1979)

作者のルース・クラウスが、保育園や幼稚園の子どもたちと一緒に、さまざまなものごとを定義し直した絵本です。ほんの一部だけ引用すると、

「かおは いろんな かおを するためにあるの」
「いぬは ひとを なめる どうぶつ」
「あなは ほるもの」

などなど。副題は「ちっちゃい こどもたちの せつめい」。子どもたちの定義に、センダックが愉快な絵をつけています。小学校低学年向き。

以下は余談。作家の片岡義男さんに、「絵本についての僕の本」(研究社出版 1993)という、タイトル通り絵本についての本があるのですが、この本のなかで本書は最大級の賛辞を捧げられています。

「なんとも言いがたい、ゆとりに満ちたぜいたくな絵本だ。本当になんとも言いがたいから、僕はこのような絵本を、ひとまず宝物と呼ぶことにしている」

片岡さんは原書で読むのですが、片岡さんによる本書のタイトル訳は「穴とは掘るもの」です。ちなみに原題は「A HOLES IS TO DIG」。副題は「A FIRST BOOK OF DEFINITIONS」。片岡さんはこの一文をこんな風に訳します。

「ものごとや事柄の定義をもっとも初歩的に学ぶための、もっとも初歩的な本」

さらに、片岡さんは本書についての賛辞をこう締めくくっています。

「それにしても、それにしても、この本は素晴らしい。これは宝物だ。穴とは確かに、まず掘るものだ。掘らなければ穴はない。「穴は掘るもの」とは、本当に見事な素晴らしい傑作なタイトルだ」

片岡さんの「絵本についての僕の本」も、数ある絵本についての本のなかで、傑作のひとつといえるでしょう。

2010年9月14日火曜日

それゆけ、フェルディナント号










「それゆけ、フェルディナント号」(ヤーノシュ/作 つつみなみこ/訳 徳間書店 2004)

フェルディナント号は、フェルディナントさんの自慢の車です。ある日、フェルディナントさんはフェルディナント号に乗って、山のふもとにやってきました。山にのぼろうとしますが、なかなかうまくいきません。すると、タクシーがやってきて、フェルディナント号をぐいっと押してくれました。

タクシーのあとは、郵便屋さんのトラックや、消防車や、ノルテさんのトラクターがフェルディナント号を押してくれます。でも、あんまり強く押しすぎて──。

「おばけりんご」で高名なヤーノシュによる絵本です。じつに他愛なく、でも大変楽しいストーリーが展開します。本書には、紹介した「フェルディナント号のやまのぼり」のほかに、「フェルディナント号はちからもち」が収録されています。小学校低学年向き。

みっつのねがいごと












「みっつのねがいごと」(マーゴット・ツェマック/文・絵 小風さち/訳 2003 岩波書店)

昔、大きな森のはずれに、仲のよいきこりの夫婦がいました。ある朝早く、夫婦が森で木を切っていると、どこからか、か細い声が聞こえてきました。きこりとおかみさんが声のほうにいってみると、しっぽを木の下敷きにされた一匹の小鬼が、足をじたばたさせていました。夫婦が木をどかしてやると、小鬼がいいました。「助けてもらったお返しに、あんたらに願いごとをかなえてやろう」

小鬼がかなえてくれる願いごとは3つだけ。夫婦はあれこれ話し合いますが、きこりが、「とりあえず、鍋にいっぱいのソーセージがほしいぞ」と、口をすべらせてしまいます。そのとたん、暖炉のなかから、鍋いっぱいのソーセージのジュージューいう音が。すると、おかみさんは叫び声をあげ、「あんた、バカじゃないの! 自分がなにをしたかわかってんの! こんなソーセージなんか、あんたのそのダンゴっ鼻にくっついちまえばいいんだわよ!」といったので──。

願いがかなうとわかったとたん、けんかをはじめてしまう夫婦のお話。でも、最後は仲のよい夫婦にもどります(たぶん)。小学校低学年向き。

2010年9月10日金曜日

とらとほしがき












「とらとほしがき」(パクジェヒョン/再話・絵 おおたけきよみ/訳 光村教育図書 2006)

昔むかし、山奥のそのまた奥に、一匹の大きなトラがすんでいました。ある日、お腹がすいたトラは、山のふもとに降りていき、小さな家に入っていきました。トラが牛に近づくと、家のなかから、お母さんが泣いている赤ちゃんをあやす声が聞こえてきました。お母さんが、オオカミがくるわよといっても、クマがくるわよといっても、ぼうやは泣きやみません。トラがくるわよといっても泣きやまないので、「このわしが少しも怖くないようだぞ」と、トラはたいそうがっかりしました。ところが、お母さんが干し柿を差しだすと、赤ん坊はぴたっと泣きやみました。

赤ん坊が泣きやんだということは、干し柿はわしより強くて恐ろしいやつにちがいない。急いで山に帰らなくてはと、トラが思ったそのとき、忍びこんでいた泥棒が、牛と勘違いして、トラの背に飛びのります。「アイゴアイゴ! 干し柿がわしの背中にのぼったようだ。わしはもうおしまいなのか」と、トラは泥棒を振り落とそうと走りだして──。

日本の昔話「ふるやのもり」や、ベンガルの昔話「たまごからうま」によく似たお話です。巻末の訳者あとがきによれば、このタイプのお話は、インドの説教説話集「パンチャタントラ」にさかのぼることができるということです。また、干し柿は日本だけでなく、韓国や中国でも昔から食べられていたそうです。また、カバー袖には、「アイゴ」という言葉についての説明が、こんな風になされています。

「アイゴとは、びっくりしたきもちや かなしいきもち、おもわず でてしまう さけびや つぶやきを あらわす、かんこくのことばです」

絵は厚塗り風のもの。いささか間の抜けたトラがユーモラスに描かれています。小学校低学年向き。

2010年9月9日木曜日

ケーキやさんのゆうれい












「ケーキやさんのゆうれい」(ジャクリーン・K.オグバン/文 マージョリー・プライスマン/絵 福本友美子/訳 フレーベル館 2007)

このあたりで一番のケーキ屋さん、コーラ・リーが亡くなったとき、町中のひとがお葬式にやってきました。最初はだれも泣いていませんでしたが、最後に牧師さんが、コーラ・リーの店で売っていたケーキの名前を読み上げると、みんなはじめて泣きだしました。コーラ・リーの店は売りにだされ、最初にゲルタ・シュタインが買いました。ところが、コーラ・リーの幽霊があらわれて、ゲルタを追いだしてしまいました。そのつぎは、フレデリーコ・スピネッリが、そのつぎはソフィー・クリストフが店を買いましたが、同じことのくり返しでした。

ところが、しばらくして大きな船でデザートをつくるシェフとしてはたらいていたアニー・ワシントンがやってきます。「ゆらゆらうごかない台所…、これがほしかったの」と、アニーはさっそく店内をきれいにし、ケーキをつくりはじめます。が、そこにコーラ・リーの幽霊があらわれます。

ユーモラスな語り口が楽しい読物絵本です。絵もカラフルでユーモラス。お話はこのあと、「わたしならつくれるけど、いままでだれもわたしにはつくってくれなかったケーキ」をつくれというコーラ・リーの申し出に、アニーがありとあらゆるケーキをつくってみせるという風に続きます。ラストのアイデアは「こぶたのおまわりさん」(シーブ・セーデリング/作絵 石井登志子/訳 岩波書店 1993)とよく似ているといえば、わかるひとにはわかるでしょうか。読みくらべてみるのも面白いでしょう。小学校中学年向き。

金の鳥












「金の鳥」(内田莉莎子/文 シェイマ・ソイダン/絵 福武書店 1989)

昔、ある村に、ひとりのおじいさんが3人の息子と暮らしていました。おじいさんの家の庭には、1本のりんごの木があって、毎年たったひとつだけ実がみのりました。おじいさんが若わかしく丈夫なのは、このりんごを食べていたからでしたが、ここ3年というもの、だれかが盗んでしまうので、おじいさんは食べることができませんでした。そこで、めっきり弱ってしまったおじいさんは、息子にりんごの木を見張らせることにしました。

一番目と二番目の兄は、夜明け前に眠りこんでしまいますが、末の息子のハサンは、りんごを食べにきた金の鳥を弓矢で射かけ、羽を一枚落とします。ハサンは、金の鳥を捕まえるため旅にでて、途中知りあったオオカミに助けられ、金の鳥のいる御殿へ、さらに金のたて髪の馬がいる粘土の国や、金の魚がすんでいるダシャン王の湖へとむかいます。

コーカサスの昔話をもとにした絵本です。絵は、色彩が豊かで幻想的。粘土の国や、ダシャン王の湖にいくことになるのは、ハサン自身の失敗からですが、親切なオオカミはどこまでもハサンを助けてくれます。小学校中学年向き。

2010年9月8日水曜日

外郎売(ういろううり)












「外郎売(ういろううり)」(長野ヒデ子/絵 斎藤孝/編 ほるぷ出版 2009)

飲むと口が回りだしてとまらなくなる丸薬「ういら(ろ)う」を売るために、外郎売りが、早口ことばを総動員した口上を述べていきます。

声にだすことば絵本シリーズの一冊。巻末の、斎藤孝さんの解説によれば、外郎売は歌舞伎十八番のひとつ。江戸時代に市川團十郎が、ういろう(または透頂香)と呼ばれる中国伝来の丸薬によって、持病の咳がとまったことに感謝し、1718年に初演したのがそのはじまりとのこと。実際に口にだして読んでみると、とてもむつかしいです。でも、斎藤さんによれば、「実にたくさんの早口言葉がでてくるので、文章としてはかなり長いのだが、子どもたちに朗読させると、あきないでずっといいつづける」のだそう。

絵本は口上を抜粋したものですが、巻末に全文が掲載されています。小学校中学年向き。

2010年9月7日火曜日

ノマはちいさなはつめいか












「ノマはちいさなはつめいか」(ヒョンドク/文 チョウミエ/絵 かみやにじ/訳 講談社 2010)

ノマはダンボールの箱をみながら、「きょうはなにをつくろうかな?」と考えていました。「そうだ、汽車をつくろう!」と思い、ダンボールの箱をはさみで切りはなし、鉛筆で汽車のかたちを書いていきました。そして、書いたところをはさみで切り抜いていきました。

ノマはわからないことがあると、お母さんに訊きます。「機関車に車輪はいくつあるの?」「3つと3つで、全部で6つよ」「客室に窓はいくつあるの?」「さあ、いくつかしら」そこで、ノマは乗り物の本をひらいて調べます。窓の数は12コでした。

ノマという男の子がダンボールで汽車をつくる、という絵本です。ノマは、わからないところはお母さんに訊いたり、自分で本をみたりして、着々と汽車を組み立てていきます。絵は水彩。さっぱりとして親しみやすく、かつ質感が驚くほどリアルです。汽車を完成させたノマは、うれしくて仕方ありません。そのあと、こんな文章が続きます。

「はじめて きしゃを つくった ひとも こんな ふうに うれしかったに ちがい ありません」

小学校低学年向き。

2010年9月3日金曜日

もどってきたガバタばん












「もどってきたガバタばん(渡辺茂男/訳 ギルマ・ベラチョウ/絵 福音館書店 1997)

ネブリという町に住む男の子が、お父さんにオリーブの木でガバタ盤(エチオピアの将棋盤)をつくってもらいました。男の子は、毎朝、谷間に牛を連れていくとき、大事にガバタ盤をもっていきました。ある日、男の子が牛を追っていくと、ラクダを連れた男たちが、渇いた河原で火をおこそうとしていました。「このへんに木はないかい?」と訊かれたので、「このガバタ盤は木でできていますけど」と男の子がたえると、男はガバタ盤を受けとって、さっさと燃やしてしまいました。

ガバタ盤を燃やされて男の子は泣きだしますが、男は代わりに立派な新しいナイフをくれます。つぎに、男の子は川床に井戸を掘ろうとしている男に出会い、地面が固いのでナイフを貸してくれといわれ、ナイフを渡すと、男は力一杯掘りすぎて、ナイフを折ってしまいます。ですが、男はその代わりに槍をくれ、男の子が槍をかついでいくと、つぎに狩人たちがあらわれて──。

というわけで、ガバタ盤がナイフに、ナイフが槍に、槍が馬に、馬が斧に、斧が木の枝に、木の枝が…に、と次つぎに代わっていくお話です。絵を描いたのはエチオピアのひと。本書は、「山の上の火」(クーランダー/文 レスロー/文 渡辺茂男/訳 岩波書店 1963)に収められた、「しょうぎばん」を絵本にしたものだと奥付に書かれています。お話の最後、お父さんのセリフがおかしいです。小学校低学年向き。

2010年9月2日木曜日

ヤチのおにんぎょう








「ヤチのおにんぎょう」(C・センドレラ/文 グロリア・C・バイベ/絵 はせがわしろう/訳 ほるぷ出版 1978)

ヤチは、ブラジルの大きな森の奥のカクシンボという村に、お父さんとお母さんと一緒に住んでいました。トウモロコシの実に、黄色くなったトウモロコシの葉を着せた人形をもっていて、クルミンと名前をつけてとても可愛がっていました。ところが、ある日、家の手伝いをしないヤチに、お母さんがいいました。「そんなにママのいうことをきかないんならお人形を捨てますよ」。びっくりしたヤチは、クルミンを隠すため、毎朝水浴びをする川の岸辺に駆けていきました。

ヤチは友だちのカメの助言を聞き、岸辺に穴を掘って人形をかくします。その後、大雨の季節がきて、岸の様子が変わり、どこにクルミンを埋めたのかわからなくなってしまいます。が、カメに連れられて埋めた場所にいってみると──。

ブラジルの民話をもとにした絵本です。ページ数は16ページと短く、お話も可愛らしいです。絵はほどよく様式化され、最後のページには、クルミンがどんな人形だったのかが、わかるようにえがかれています。小学校低学年向き。

2010年9月1日水曜日

月夜のこどもたち












「月夜のこどもたち」(ジャニス=メイ=アドレー/文 モーリス=センダック/絵 岸田衿子/訳 講談社 1983)

疲れたお日様が、眠そうな山のむこうに沈むと、月がでます。あたたかな夜風が、みんなの髪の毛をゆらし、あとから、さやさやと吹いていきます。わたしたちはみんな裸足になって踊ります。草の上を、どこまでも──。

夏の夜、庭で遊ぶ子どもたちを詩的な文章でつづった絵本です。文章を引用してみましょう。

《わたしたちは とびはねます。
 なんべんも なんべんも。
 たかく、もっと たかく。
 でも、だれも 月まで とどきません》

白黒とカラーの絵が交互にくる構成です。カラーの場面は、文章がなく、絵が見開きいっぱいにひろがっています。夏の夜の感じがよくでており、思わず見入ってしまいます。小学校低学年向き。