2010年12月24日金曜日

ふしぎのたね












「ふしぎのたね」(ケビン・ヘンクス/文 アニタ・ローベル/絵 伊藤比呂美/訳 福音館書店 2007)

だれかが、荒れ地にふしぎの種を植えました。でも、お日様はぎらぎら、空はからからで、芽はでません。いっぽう、子ウサギはちょろちょろ細いリボンのような川を渡り、冒険にいきました。あっちへいって、こっちへいって、とうとう迷子になりました。それから、子どもがいました。なにかしたかったのですが、なんにも思いつかなかったので、なんにもできませんでした。そのとき、雨が降りだして、小川は大きくなり、種は芽をだしました。

雨が降り、子どもは大喜びするのですが、子ウサギは濡れて寒くてひとりぼっちになってしまいます。それに、子ウサギは水かさが増えた小川を渡れません。ところが、子どもがいいことを思いつきます──。

子どもと子ウサギと種という、3つの視点からえがかれた絵本です。それぞれのストーリーは最後ひとつになり、子どもも子ウサギも種も、大変満足のいくラストをむかえます。絵は、厚塗りの、荒削りな印象のもの。充分に余白をとったレイアウトのため、全体にすっきりとしてみえます。3つの視点を用いて語られるストーリーは、作品に奥行きをつくりだし、何度も読み返したくなる一冊になっています。小学校低学年向き。

2010年12月22日水曜日

ちいさなリスのだいりょこう

「ちいさなリスのだいりょこう」(ビル・ピート/作絵 山下明生/訳 佼成出版社 1982)

都会の公園にあるカシの木に、マールという若くて臆病なリスが住んでいました。マールは、車の音や大きな灰色のビルディングに、いつもびくびくしていました。知らない国の話を聞くのが大好きなマールは、ある日、人間たちがこんなことを話しているのを聞きました。「西部のでっかい木にはぶったまげたぜ。そこらのビルディングよりももっと高くて、自分がありんこになった気持ちだったな──」。そこで、マールは勇気をだし、電線をつたって西部へいってみることにしました。

でも、リスの足ではそう遠くへはいけません。一日かけても町の外にでられなかったマールは、西部のでっかい木をみにいくことをあきらめて、公園にもどろうとします。が、電線に引っかかった凧をほどいていたところ、風が吹き、マールは凧と一緒に空に舞い上がってしまい──。

臆病者のリスが凧のシッポにつかまって、空を旅し、ついに西部にたどり着くというお話です。絵は、おそらくペンと色鉛筆をつかったもの。砂漠に落っこちそうになったり、竜巻に吹き飛ばされたりする、小さなリスの大冒険が溌剌とえがかれています。小学校低学年向き。

2010年12月21日火曜日

はしれちいさいきかんしゃ











「はしれちいさいきかんしゃ」(イブ・スパング・オルセン/作 やまのうちきよこ/訳 福音館書店 1979)

大きな駅の構内に、小さな機関車がいました。この機関車は、とても小さかったので、遠くへいかせてもらえませんでした。「せめて、隣の町までいきたいな」と、小さな機関車はときどきため息をついていました。ある朝、いつものように機関士さんが水を入れ、石炭をたき、「窓をふけば準備完了」と窓ふきをとりにいったとき、小さい機関車は「ポーッ、しゅっぱあつ!」と叫んで走りだしました。

小さい機関車はホームを走り抜け、広びろとした田舎を通り、ついにレールから脱線。夢にまでみた隣町へとむかいます。

つきのぼうや」で高名なオルセンの絵本です。小さな機関車が暴走していくさまが、とてもいきいきと描かれています。とくに冒頭、小さな機関車が駅の構内にむかって走りだすところは大変わくわくします。また、小さな機関車が暴走しているのに、周りのひとたちのリアクションがのんきなところが可笑しいです。機関車絵本はたくさんありますが、そのなかでも傑作の一冊でしょう。小学校低学年向き。

2010年12月20日月曜日

ひよこのアーサーがきえた!












「ひよこのアーサーがきえた!」(ナサニエル・ベンチリー/文 アーノルド・ローベル/絵 福本友美子/訳 文化学園文化出版局 2010)

アーサーは生まれたばかりのひよこでした。めんどり母さんは、アーサーをとても可愛がりました。アーサーが頭にのりたいといえば、頭にのせてやりました。

ところが、ある朝、めんどり母さんが朝ごはんをあつめてうちに帰ると、アーサーの姿が見えません。アヒルもオンドリも牝牛も、アーサーの行方を知らないといいます。そこで、めんどり母さんは、もの知りのフクロウ、ラルフを訪ねます──。

いなくなったひよこのアーサーを見つけるまでのお話です。このあと、フクロウのラルフがアーサーをみつけるまでのお話が続きます。物語はずいぶん起伏があり、読んでいると、いつアーサーが見つかるのかとはらはらさせられます。ストーリーにこくのある読物絵本です。小学校低学年向き。

2010年12月17日金曜日

つきのぼうや












「つきのぼうや」(イブ・スパング・オルセン/作 やまのうちきよこ/訳 福音館書店 1979)

夜空に昇り、ふと下を見たお月さまは、池なかにもうひとりのお月さまがいるのを見つけました。もうひとりのお月さまが気になってしかたないお月さまは、ある晩、月のぼうやを呼んでいいました。「ちょいと、ひと走り下へ降りていって、あの月を連れてきてくれないか。友だちになりたいのだ」。そこで、月のぼうやはかごを下げ、元気よく夜空を駆け降りていきました。

月のぼうやが、途中うっかり蹴飛ばした星は、流れ星になります。わた雲を突き抜け、飛行機を横切り、渡り鳥の群れに出くわしたり、風に吹き飛ばされたりしながら、月のぼうやは池にむかっていきます。

タテ35センチ、ヨコ13センチと非常にタテ長の絵本です。このタテ長の構図を、じつによく生かしたつくりになっています。読むと、自分も月のぼうやと一緒に空から落ちているような気分になります。オチも洒落ていて、楽しい一冊になっています。小学校低学年向き。

2010年12月16日木曜日

お月さまってどんなあじ?












「お月さまってどんなあじ?」(ミヒャエル・グレイニェク/絵と文 いずみちほこ/訳 セーラー出版 1995)

動物たちは、夜、お月さまを見ながらいつも、お月さまって甘いのかな、しょっぱいのかなと考えていました。ある日、小さなカメが一番高いあの山にのぼって、お月さまをかじってみようと決心しました。てっぺんまでいくと、お月さまはずいぶん近くなりました。でも、小さなカメには届きません。そこで、カメはゾウを呼びました。ゾウはカメの背中に乗りましたが、それでもお月さまには届きません。そこで、ゾウはキリンを呼んで──。

動物たちが、どんどん背中にのぼっていって、ついにお月さまを味見をするお話です。お月さまもだんだん昇っていくので、なかなか手が届きません。キリンのあとは、シマウマ、ライオン、キツネ、サル、ネズミと続きます。絵は、紙の質感をよく生かした水彩。オチが気が利いています。小学校低学年向き。

ヘスターとまじょ










「ヘスターとまじょ」(バイロン・バートン/作絵 かけがわやすこ/訳 小峰書店 1996)

ハロウィーンの魔女の服を着て、お友だちがパーティにくるのを待っていたワニの女の子ヘスターは、みんながくる前に、お隣りさんをおどかしてお菓子をもらおうと思いました。でも、それはやめて、ビルのあいだにある見知らぬ家のベルを押しました。そして、でてきたおばあさんにいいました。「おかしをくれなきゃ、いたずらするぞ!」。すると、おばあさんはにっこりしました。「さあ、さあ、お入り」。

おばあさんの家には不思議なお友だちがたくさんいます。それに、おばあさんの家は不気味なものでいっぱい。ヘスターはおばあさんと一緒にホウキに乗り、ビルの上を飛びまわります──。

ハロウィーン絵本の1冊です。ヘスターが訪ねた家のおばあさんは、どうやら本物の魔女のようなのですが、それをほのめかすだけにしているところがうまいところです。絵は、明るい色と、生き生きした描線から成ったもの。巻末に、ハロウィーンについての解説がついています。小学校低学年向き。

2010年12月14日火曜日

アイウエ王とカキクケ公












「アイウエ王とカキクケ公」(武井武雄/原案 三芳悌吉/作 童心社 1982)

昔、アイウエ王という王様が治める、アイウエ王国という国がありました。王様はやさしく、ひとびとははたらき者の、平和で豊かな国でした。アイウエ王国のとなりには、カキクケ公国という国がありました。その国は、カキクケ公という欲の深い公爵が治めており、いつかとなりのアイウエ王国に攻め入ってやろうと狙ってしました。また、アイウエ王国には、サシスセ僧という徳の高いお坊様がいました。動物たちまでが、サシスセ僧を慕ってあつまってきました。

さて、ある日のこと、カキクケ公はアイウエ王を狩りに誘いました。カキクケ公は家来を待ち伏せさせておいた森にアイウエ王を誘いこみ、王を捕らえ、タチツテ塔という気味の悪い塔に閉じこめてしまいました。そして、アイウエ王国は、カキクケ公の軍隊に占領されてしまいました――。

原案は武井武雄の「アイウエ王物語」。ダジャレでいっぱいの物語ですが、格調高い絵により、叙事詩のような風格があります。あとがきによれば、絵を描くにあたって、ノルマン制服を描いたバイユーの「タペストリーの絵物語」と、「ペリー公の絵暦」の「ポール・ド・リンデンブルグ」「ジャン・コローム」を参考にしたということです。

また、三芳悌吉さんは、故郷の活動写真館(映画館)で、日本語の上手な外国の老人が、「アイウエ王様」という物語を面白おかしく聞かせてくれたことをおぼえているそうです。その話は、じつは武井武雄の童話をもとにしたものでした。いつかこの話を絵本にしたいと思っていた三芳さんは、武井武雄の承諾を得て、この絵本をつくったとのこと。絵本の冒頭と終わりに、タキシードを着た老人が舞台にあらわれますが、これは活動写真館での思い出をえがいたのでしょう。小学校中学年向き。

2010年12月13日月曜日

王さまと九人のきょうだい












「王さまと九人のきょうだい」(君島久子/訳 赤羽末吉/絵 岩波書店 1978)

昔、イ族のある村に、年寄りの夫婦が住んでいました。ふたりはいつも、「子どもがほしい、子どもがほしい」と思っていましたが、すっかり腰が曲がっても、まだ子どもは生まれません。ある日のこと、おばあさんはあんまりさびしいので、裏の池のほとりで涙がこぼれて、ぽとーんと池のなかに落ちました。すると、池のなかから白い髪の老人があらわれて、「なぜ泣くのじゃ」とやさしくたずねました。おばあさんがわけを話すと、老人は黒い丸薬をおばあさんに渡しました。「ひと粒飲むと、子どもがひとり生まれる。九つあるから、みんなで九人の子持ちになるわけじゃ」

おばあさんはさっそくその薬をひと粒飲みます。が、1年待っても赤ん坊は生まれません。待ちきれなくなって、あるだけの薬をいっぺんに飲んでしまうと、まもなくお腹がふくらんで、ある日9人の赤ん坊が生まれます。でも、2人はひどい貧乏なので、とても9人の赤ん坊を育てることはできません。2人が涙をこぼしていると、またあの老人があらわれてこういいます。「心配はいらん。なんにもしてやらなくとも、この子たちはひとりで立派に育つのだ」。そして、老人は子どもたちに、「ちからもち」「くいしんぼう」「はらいっぱい」「ぶってくれ」「ながすね」「さむがりや」「あつがりや」「きってくれ」「みずくぐり」という名前をつけます──。

中国の民話をもとにした絵本です。ここまでが冒頭。このあと話は一転し、王様がだす難題を兄弟たちが解決していくという話に続きます。九人の兄弟が、無理難題を次ぎつぎに乗り越えていくさまが大変痛快です。文章はタテ書き。文章、絵ともに素晴らしい読物絵本です。小学校低学年向き。

2010年12月10日金曜日

きみなんかだいきらいさ












「きみなんかだいきらいさ」(ジャニス・メイ・ユードリー/文 モーリス・センダック/絵 こだまともこ/訳 富山房 1975)

ジェームズとぼくはいつも仲良しだったよ。でも、きょうはちがう。ジェームズなんか大嫌いさ。ジェームズはいつだって威張りたがる。クレヨンは1本も貸してくれないし、一番いいシャベルをとっちゃう。おまけに、砂まで投げるんだぜ。だから、もう、ジェームズなんか大嫌いなのさ──。

友だちとの仲がこじれた男の子のお話。男の子は、ジェームズと仲が良かったときにしたことや、嫌いになった理由をならべたて、ついには、「きょうからきみはぼくのてきだ」というために、ジェームズの家を訪ねるのですが…。

正方形の小さな絵本です。絵は3色。ケンカをしているときは雨降りですが、仲直りするとからりと晴れます。センダックのえがく男の子は、仲の良いときも悪いときも、大変いきいきしています。小学校低学年向き。

2010年12月9日木曜日

しょうとのおにたいじ












「しょうとのおにたいじ」(稲田和子/文 川端健生/絵 福音館書店 2010)

昔、けものや小鳥がまだものをしゃべっていたころのこと、しょうと(ホオジロ)というかわいい小鳥が、お地蔵さんの耳に巣をつくらせてもらい、3つの卵を生みました。そうして、「かわいや、かわいや」と毎日抱いていましたが、ある日、はたらきにでなくてはならなくなり、お地蔵さんに留守守りを頼みました。ところが、しょうとが飛んでいったすきに、山から大きな赤鬼がきて、卵をちょっと見せてくれと、お地蔵さんにいいました。はじめのうち、お地蔵さんは断っていましたが、見るだけだというので、ちょっと見せると、赤鬼は卵をひとつさらって飲み、たあっと逃げていきました。

このあと、青鬼と黒鬼(いずれも赤鬼が化けたもの)がやってきて、卵はぜんぶ食べられてしまいます。しょうとは悲しみのあまり、歌もうたわず、飛ぶこともせず、泣きの涙で暮らすのですが、ある日どんぐりがやってきてこういいます。「わが子をとられるほどつらいことがあろうか。しかし、力を落とすなよ。一緒に鬼退治にいこう」。鬼は大きいし、強い。こっちが負けるにきまっとる。そういうしょうとを、どんぐりは励まします。「いやいや、しょうとどん。小さいもんは頭をつかわにゃ。知恵で鬼のやつをごいーんとやっつけようじゃないか」。かくして、鬼退治にでかけたしょうととどんぐりは、途中出会ったカニ、クマンバチ、牛、臼、縄を仲間にし、みごと鬼退治にむかいます。

作者の稲田さんが、広島県で採話した話をもとに絵本にした一冊です。一見、桃太郎とサルカニ合戦をくっつけたような話ですが、「こどものとも」(1996年2月号 479号)として刊行されたときの折りこみふろく「絵本のたのしみ」によれば、「しょうと」のほうが古いと稲田さんはみています。また、川端健生さんが絵を描いた絵本は、この一冊のみだということです。方言を生かした文章と、ととのった日本画による、いうことのない一冊です。小学校低学年向き。

2010年12月8日水曜日

まいごのフォクシー











「まいごのフォクシー」(イングリ・ドーレア/文・絵 エドガー・ドーレア/文・絵 うらべちえこ/訳 岩波書店 2002)

フォクシーは、キツネそっくりの小さな犬です。ある日、思いがけず町の通りにでたフォクシーは、ご主人の男の子に匂いを見失い、迷子になってしまいました。暗くなり、雨も降ってきて、お腹はぺこぺこ。あるドアの前にうずくまっていると、突然ドアが開き、太った男のひとがフォクシーにつまづいて転びそうになりました。「やあ、きつねみたいなワンちゃん。どこからきたんだい? 迷子になったんだな。腹ぺこなんだろう。うちへおいで」と、太っちょのおじさんは、フォクシーを抱き上げてうちに連れて帰りました。

さて、太っちょのおじさんの家にいくことになったフォクシーは、そこでごちそうにありつきます。家にはオンドリと猫もいて、「音楽の時間」におじさんがフルートを吹くと、猫はピアノを弾き、オンドリはコケコッコーと鳴きだします。フォクシーも一緒にうたいだすと、「いや、うれしいねえ、うたう犬とは! 動物3人組で演奏できる!」と、おじさんは喜びます。そして、おじさんは宙返りやピラミッドなど、フォクシーにいろんな芸をしこみます──。

迷子になった犬のフォクシーが、太っちょの男に拾われて、芸をしこまれ、舞台に立つ…というお話です。カラーページと白黒ページが交互にくる構成。あたたかみのある絵は、おそらく色鉛筆でえがかれたもの。表と裏の見返しに、マンガがついています。ストーリーは、チェーホフの「カシタンカ」(児島宏子/訳 未知谷 2004)そっくりです。小学校低学年向き。

2010年12月7日火曜日

いたずらこねこ









「いたずらこねこ」(バーナディン・クック/文 レミィ・チャーリップ/絵 間崎ルリ子/訳 福音館書店 1980)

あるところに、庭の小さな池に住む、ほんの小さなカメがいました。となりのうちには、子猫がいました。ほんの小さな、でもいたずらな子猫でした。カメは毎日、ゆっくりゆっくり庭を散歩しました。ある日、カメがいつものように散歩をしていると、そこに子猫がやってきました。

子猫は、カメをみるのがはじめてです。用心しながらカメに近づき、立ち止まると、カメも立ち止まります。子猫が前足でポンとカメを叩くと、カメは首を甲羅に引っこめ、子猫は大いに驚きます。もしかしたら、もう一度叩いたら首がでてくるかもしれないぞと、子猫がまたカメを叩くと──。

生まれてはじめてカメと出会った子猫のお話です。まるで舞台のように、両端からカメと子猫がやってきて、真ん中で出会います。子猫は最後、少々かわいそうな目にあうのですが、そのしぐさは大変かわいらしくユーモラスにえがかれています。シンプルな絵本ですが、心地よい緊張感に満ちた劇的な一冊です。ちなみに、絵を描いたチャーリップは、「よかったねネッドくん」の作者シャーリップと同一人物です。小学校低学年向き。

2010年12月6日月曜日

すてきな子どもたち










「すてきな子どもたち」(アリス・マクレラン/文 バーバラ・クーニー/絵 きたむらたろう/訳 ほるぷ出版 1992)

あそこはロクサボクセンよ、といったのはマリアンでした。それは、どこにでもある、ごつごつした丘で、砂と岩、古い木の箱、サボテン、グリース・ウッド、それにとげだらけのオコティーヨのほか、なんにもないところでした。でも、そのロクサボクセンこそ、みんなが特別に気に入っていた場所でした。

マリアンが、黒くて丸い小石のいっぱいつまったブリキの箱を掘り出したとき、みんなは、あっ宝物が埋まってたんだなと思いました。それから何日間か、みんな頑張って宝探しをしました。こんなに一所懸命やれば、そのうち探さないでもみつかるんじゃないかしらと思えるほど。そのうち、ロクサボクセンの町は大きくなったので、石で区分けをし、家をつくりました。町役場ができ、マリアンが町長になりました。フランセスは家の境界線をコハク色、アメジスト色、青みがかった緑色のガラスや陶器のかけらでつくりました。まるで宝石の家のようでした──。

それから、ロクサボクセンの町には、パン屋さんが一軒と、アイスクリーム屋さんが二軒できます。みんな車をもっていて、というのもハンドルの代わりに丸いものをもっていれば、それで車になったからです。スピード違反は刑務所いき。でも、ウマならスピード違反も一時停止もありません。ウマがほしければ、棒きれと手綱みたいなひもがあればいいのです。ときどきは戦争もあります。一度は男の子対女の子の大戦争がありました。女の子はみんな、よくまとまって、アイリーンのお城を守りました──。

アリゾナ州ユマ町に、かつてロクサボクセンという名前で知られた丘があり、そこでくりひろげられた子どもたちによるごっこ遊びをえがいた絵本です。文章は、ロクサボクセンで遊んでいた子どもによる回想というかたちで書かれています。バーバラ・クーニーの絵が素晴らしいのはいうまでもありません。訳も素晴らしく、郷愁に満ちた一冊となっています。小学校中学年~大人向き。

2010年12月3日金曜日

オーケストラの105人












「オーケストラの105人」(カーラ・カスキン/作 マーク・サイモント/絵 岩谷時子/訳 すえもりブックス 1995)

金曜日の夜です。外はだんだん暗くなり、だんだん寒くなってきます。町のあちこちで、105人のひとたちが、仕事にいく支度をしています。まず、みんなからだを洗います。105人のうち、男のひとは92人、女のひとは13人。ほとんどのひとはシャワーをつかいますが、二人の男のひとと、3人の女のひとは、しゃぼんの泡でいっぱいのお風呂に入ります。それから、ヒゲをそったり、ズボンやくつ下をはいたり、宝石をつけたり、ひとりだけ白いネクタイに燕尾服を着たひとがいたりして、みんなは「いってきます」と、105のドアからでていきます。

105人のオーケストラの楽団員たちが、ホールに集合し、演奏をはじめるまでを描いた絵本です。お風呂の入りかたや、着るもの、はくもの、つけるもの、またホールにむかう交通手段まで、次々に列挙されるさまが楽しいです。絵は、イラスト風の親しみやすいもの。大勢の人物をみごとに描き分けています。本書のラスト近くで、105人がな音楽ホールにつどったのか、その訳がこんな風に明かされます。

「金曜日の夜 8時30分
 105人の 男のひとと 女のひとは
 黒と白の 服をきて
 白い紙に 黒で 音符が書かれた 楽譜を
 シンフォニーに かえるために ここへきたのです。」

小学校中学年向き。

2010年12月2日木曜日

栄光への大飛行










「栄光への大飛行」(アリス・プロヴェンセン/作 マーティン・プロヴェンセン/作 今江祥智/訳 BL出版 2009)

時は1901年、ところはフランスの町カンブレ。新しい車で家族とドライブにでかけたルイ・ブレリオさんは、空からクラケッタ、クラケッタという音がするのを耳にしました。おかげで、前をみるのをすっかり忘れ、荷馬車と衝突。そのとき、頭上に飛行船があらわれました。クラケッタ、クラケッタという音は、飛行船がだしていた音だったのです。飛行船を目にしたブレリオさんは、うちじゅうのみんなにいいました。「わしも空飛ぶ機械をつくるぞ。大きな白い鳥のようなのをな」。

まず、ブレリオがつくったのは、鳥のようにはばたく模型、ブレリオⅠ号でした。そのつぎは、モーターボートで引っ張って飛ぶ、グライダーのブレリオⅡ号。でも、ブレリオⅡ号はすぐ墜落してしまいます。そのつぎは、モーターとプロペラをつけたブレリオⅢ号。ブレリオⅢ号は、どうしても水面をはなれようとしません。プロペラとモーターを2つに増やしたブレリオⅣ号は、水の上にきれいな輪をえがいただけに終わります。ブレリオⅤ号は地面をぴょんぴょん跳ね、ブレリオⅥ号は原っぱのはしからはしまで飛んだものの、岩にぶつかってしまいます。でも、ついに、ブレリオはブレリオⅦ号で空を飛びます。

飛行機黎明期の偉大な先駆者、ルイ・ブレリオについての絵本です。巻末の文章によれば、自動車のライトについての発明で財をなしたブレリオは、それを飛行機の開発につぎこんだということです。本書は空を飛んだだけでは終わりません。ブレリオは、史上初の英仏海峡横断に挑戦します。そのあたりの文章はこんな風です。

「海峡のはばは 20海里あります。
 黒い波が うねっています。
 霧がたちこめ、雨がふります。
 おっこちたら、氷のような 水の中です。
 岸につくには、うんと 泳がなくてはなりません。
 どうかんがえても 危険です。
 つまり、パパの好みにぴったりなのです。」

絵は、落ち着いた色づかいの水彩。何度失敗してもめげない不屈のブレリオが大変印象的な一冊です。小学校中学年向き。

本書は、以前、「パパの大飛行」(脇明子/訳 福音館書店 1986)というタイトルでも出版されています。脇さんの訳のほうが好みだったので、紹介文は「パパの大飛行」にもとづきました。引用箇所は、「栄光への大飛行」の今江訳ではこんな風になっています。

「海峡の幅は20海里もあり、
 まっくろな波がうねり、
 霧がたちこめ雨がふる。
 落ちれば氷の水浴びになる。
 岸に泳ぎつくのはおおごとで、
 いやはや、危険がいっぱいだ。
 それこそまさに――パパが望むところ。」

2010年12月1日水曜日

にげろ!にげろ?












「にげろ!にげろ?」(ジャン・ソーンヒル/作 青山南/訳 光村教育図書 2008)

ヤシの木とマンゴーの森に、若いノウサギが住んでいました。ノウサギは、いつも心配ばかりしていました。食べるものがなくなったらどうしようとか、雨が降ったらどうしようとか。ある日、お気に入りの木陰で昼寝をしようとしたノウサギは、このときも怖いことを考えてしまいました。「もしも、世界がこわれたら、わたしは一体どうなるんだろう」。そのとき、真っ赤に熟れたマンゴーの実が、がさがさしたヤシの葉に落っこちました。「大変、世界がこわれはじめた」。ノウサギはぴょんと跳び上がると、ヤシの木とマンゴーの森のなかを必死で走りはじめました。

ノウサギは、花をかじっていた別のノウサギに、なぜ走っているのかと訊かれます。「世界がこわれはじめたのよ! あんたも逃げないと」。すると、そのノウサギも走りだします。噂はどんどん広がって、しまいにはノウサギの数は1000匹に。噂はさらに広がって、1000頭ものイノシシや、シカや、トラや、サイが、いっせいに走りだします。が、その群れのまえにライオンがあらわれます──。

インドにつたわるジャータカのお話を絵本にしたもの。このあと、群れを止めたライオンは、ほんとうに世界がこわれようとしているのか、昼寝の場所を、ノウサギと一緒に確かめにいきます。絵は、色の濃い、よく描きこまれた遠目の効くもの。総勢5千頭もの動物たちが走っていくシーンは圧巻です。巻末には、登場した動物たちについての解説がついています。小学校低学年向き。

2010年11月30日火曜日

鳥に魅せられた少年












「鳥に魅せられた少年」(ジャックリーン・デビース/文 メリッサ・スウィート/絵 樋口広芳/日本語版監修 小野原千鶴/訳 小峰書店 2010)

18歳になったジョンは、英語や商いの方法を学ぶため、フランスをはなれ、アメリカのペンシルベニアで暮らしはじめました。ジョンがなにより好きだったのは、鳥の観察でした。まだ雪の残っている4月のある日、鳥の巣のある洞窟をのぞきにいくと、なかから鳥が飛びだしてきました。それは、春になってもどってきたツキヒメハエトリでした。

もどってきたツキヒメハエトリをながめながら、ジェームズは考えます。この鳥は去年、この巣をつくった鳥と同じ鳥だろうか? もしそうだとしたら、冬のあいだはどこにいたのだろう? 来年の春には、またここへもどってくるだろうか?

ツキヒメハエトリの観察を続けながら、ジョンはある実験を思いつきます。それは、ひな鳥の足にひもを結びつけるというものでした。ジョンはさっそく実行してみますが、最初に結びつけたひもは、すぐにほどかれてしまいます。そこで、8キロはなれた村にでかけ、細い銀をよった糸を買ってきて、それをひな鳥に結びつけます。1週間後、鳥たちは飛び立っていきました。はたして、ジョンがひもを結びつけた鳥は、またもどってくるでしょうか。

アメリカの鳥類研究家ジョン・ジェームズ・オーデュポン(1785ー1851)についての絵本です。絵は水彩とコラージュによって表現されています。巻末の文章によれば、鳥の足にひもを結びつけるというアイデアを実行したのは、北米ではジョンがはじめてだったということです。ジョンがそれをしたのは1804年のことでした。また、巻末には、ジョンによる大変美しいツキヒメハエトリの水彩画が乗せられています。本文がちょっと読みにくいのが残念ですが、魅力的な絵本です。小学校高学年向き。

2010年11月29日月曜日

ナガナガくん










「ナガナガくん」(シド・ホフ/作・絵 小船谷佐知子/訳 徳間書店 1999)

ナガナガは、胴体が長いながーい犬でした。あんまり長いので、自分の尻尾はみえないし、犬小屋からはいつもはみだしていました。「まるで長いソーセージみたい」と、ほかの犬はバカにしましたが、ナガナガは気にしませんでした。だって、一度にたくさんの子どもたちになでてもらえる犬なんて、ほかにいないからです。

ナガナガの飼い主は、年寄りの貧しいおばさんでした。おばさんはナガナガのことが大好きでした。ぐっと寒くなったある日、おばさんは毛糸を買うために、つぼや床の下にしまっておいた小銭を、ありったけあつめました。ナガナガは、「ぼくがこんなに長くなかったら2人分の毛糸が買えるのに」と思い、壁に頭を押しつけたり、からだを結んでみたりしました。でも、少しもからだはちぢみません。そこで、ナガナガは家出をすることにしました──。

アメリカの高名な漫画家で、絵本や児童書の著作もあるシド・ホフの絵本です。このあと、家出をしたナガナガは、お金持ちのペットになるのですが、さみしくなって、またうちに戻ります。そのとき、思いがけない事件が起こります。絵も物語もじつに明快な、読んで楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2010年11月27日土曜日

ゆかいなかえる









「ゆかいなかえる」(ジュリエット・キープス/作 いしいももこ/訳 福音館書店 1980)

水の中に、黒い点々のあるゼリーのような卵がありました。魚がやってきて、卵をぱくっと食べましたが、4つの卵だけはぶじに流れていきました。それから、卵はオタマジャクシになり、後足が生え、前足が生え、尻尾がちぢんで、4匹のカエルになりました。

4匹のカエルは流木まで競争したり、カタツムリのかくしっこをしたり、サギから逃げたり、カメからかくれたりしながら、夏中うたって遊びます。

石井桃子さんの訳文はうたうように書かれています。サギをうまくやりすごす場面の文章はこんな風です。

「さぎたちは ふしぎがりながら いってしまった。
 そっと でてきた ゆかいなかえる
 さぎを だませて よかったな。」

絵は、わずかな色でじつにうまく水の感じを表現しています。また、カエルたちは、シンプルな線で生き生きとえがかれています。すでに古典となった1冊といっていいでしょう。小学校低学年向き。

2010年11月25日木曜日

ライオンとネズミ











「ライオンとネズミ」(イソップ/原作 ジェリー・ピンクニー/作 さくまゆみこ/訳 光村教育図書 2010)

あるとき、1匹のネズミが、眠っているライオンをうっかり起こしてしまいました。でも、ライオンは捕まえたネズミを逃がしてやりました。その後、ライオンは猟師の罠にかかり、網に捕らわれてしまいますが、そこへネズミが駆けつけます──。

イソップ物語の「ライオンとネズミ」をもとにした絵本です。本書には文章がありません。たくさんあるイソップ絵本のなかで、動物の鳴き声と擬音だけで物語を構成したところに本書の新味があります。また、ライオンとネズミだけでなく、いろんな動物がえがかれているところが楽しいです。作者あとがきには、こんなとこが書いてあります。

「子どものときのわたしは、ひかえめなねずみの決断によって百獣の王の命がすくわれることに、わくわくしていましたが、おとなになったわたしは、ライオンもねずみも、どちらも大きな心をもっていることにきづいたのです。勇気をふりしぼったねずみも、そして獣の本能をこえて小さな獲物をはなしてやったライオンも、心がとても広い。そこでわたしは、本書のカバーには、このゆうかんな二ひきの動物がどうどうと目を合わせているところを、たっぷりスペースをとってえがきました」

おかげで、本書のカバーには、ライオンの顔がアップでえがかれているほか、タイトルすらありません。2010年度コールデコット賞受賞。小学校低学年向き。

2010年11月24日水曜日

いたずらロラン












「いたずらロラン」(ネリー・ステファヌ/文 アンドレ・フランソワ/絵 かわぐちけいこ/訳 福音館書店 1994)

雪だるまをつくっていて学校に遅刻したロランは、教室のすみに立たされてしまいました。でも、立っているだけではつまりません。鉛筆をとりだして、壁にひょろ長いトラを描き、「じゃらんぽん!」ととなえると、トラはほんとのトラになり、長いからだをぐーんと伸ばして、先生にお行儀よく挨拶をしました。でも、先生はいいました。「クラスにトラはお断り。空いてる席もないからね」。先生が開けたドアから、トラはおとなしく出ていきました──。

ロランが、「じゃらんぽん!」ととなえるたびに、描いた絵がほんものになって大騒ぎになるというお話です。悪ふざけがすぎたロランは、牢屋に入れられてしまいますが、絵に描いた動物たちのおかげでぶじ脱走、以前描いたシマウマに再会し…、と次から次へと奇想天外に話が続いていきます。ストーリーと同様、3色で表現された絵も軽快にえがかれています。小学校低学年向き。

2010年11月22日月曜日

ひらめきの建築家ガウディ












「ひらめきの建築家ガウディ」(レイチェル・ロドリゲス/文 ジュリー・パシュキス/絵 青山南/訳 光村教育図書 2010)

スペインのカタルーニャというところに、アントニ・ガウディという名の男の子がいました。丈夫な子ではなかったガウディは、兄弟と走りまわって遊ぶことができませんでした。代わりに、目をしっかり開いて、世界をじっくり観察していました。ガウディのお父さんは銅板職人、お母さんの家も金物細工の職人でした。ガウディは、金属がいろんなかたちに変わっていくのをいつもながめていました。だんだんとからだが丈夫になってくると、友だちと古い修道院を探検して、こわれているところを直したいなあと思ったりしました。

サクラダ・ファミリア教会で有名な建築家、ガウディについての伝記絵本です。ガウディが建築家としてまず最初につくったのは、自分の机だったそうです。そして、巻末の作者のことばによれば、現在7つの建築物が世界遺産になっているとのこと。絵は、柔らかみのある親しみやすいもの。自然のモチーフを大胆にとり入れたガウディの仕事がわかりやすくえがかれています。小学校中学年向き。

余談ですが、欧米の絵本では伝記絵本をよくみかけます。ですが、欧米とくらべると、わが国のそれは少ないように感じられます。

2010年11月19日金曜日

ふしぎなかけじく












「ふしぎなかけじく」(イヨンギョン/作 おおたけきよみ/訳 アートン 2004)

昔、チョンウチという道士が住んでいました。ある日、山のふもとからひとの泣き声が聞こえてきたのでいってみると、荒れはてた家がありました。目の見えないお母さんと暮らしているハンジャギョンという男が、お父さんがおととい亡くなり、お腹をすかせて倒れているのでした。そこで、チョンウチ道士は袖から掛け軸をとりだしていいました。「この掛け軸を部屋にかけて倉番を呼ぶがよい。最初の日には100両をもらってお父上を弔いなさい。次の日からは、1日に1両ずつもらえば、なんとか食べていけるだろう」

さて、チョンウチ道士にいわれたとおり、ハンジャギョンが掛け軸をかけてみると、なかから倉番の男の子があらわれます。男の子がくれた100両でお父さんのお葬式をあげ、その後1日1両ずつもらうお金で、お母さんにもよい暮らしをさせることができたハンジャギョンはとても幸せになります。ですが、ある日、市場にでかけると、落ちぶれた大金持ちが9万坪の畑をたった100両でたたき売りしているという話が耳に入り──。

お金をだしてくれる不思議な掛け軸のお話。このあと、100両あれば地主になれると思ったハンジャギョンは、倉番をおどかし、掛け軸のなかにある倉に入りこみます。もちろん、欲をかいたハンジャギョンは、相応の罰を受けるはめになります。カバー袖にある訳者解説によれば、本書は韓国の古典小説「田禹治傳」(チョンウチでん)をもとに絵本化したものだそう。絵は水墨画風。お調子者で、人間味あふれるハンジャギョンがじつに表情豊かにえがかれています。小学校中学年向き。

2010年11月18日木曜日

ウィリアムのこねこ











「ウィリアムのこねこ」(マージョリー・フラック/作 まさきるりこ/訳 新風舎 2005)

ある5月の月曜の朝、しま模様の子猫が、プレゼントビルという村の、ポリウィンクル通りで迷子になっていました。子猫は「ミャーミャー」と鳴きながら、ポリウィンク通りを通るひとびとについていきました。最初は牛乳屋さんに、つぎは郵便屋さんに、それから八百屋の店員さん、会社へ急ぐお父さん、学校へ急ぐ子どもたち、市場へ買い物にいくお母さんたち…。でも、みんな急いでいたので、だれも子猫に気づいてくれません。そこで、子猫は4才になるウィリアムについていくことにしました。ウィリアムは、ちっとも急いでなんかいなかったのです。

さて、ウィリアムのうちに入りこんだ子猫は、うまくミルクにありつきます。この子猫を飼いたいとウィリアムはいいだしますが、もしかしたら、ほかのうちの子猫かもしれません。そこで、ウィリアムは、兄のチャールズと姉のナンシーと一緒に警察署にいき、迷子の子猫の届出がないかたずねてみることにします。

カラーページと白黒ページが交互にくる構成です。この時代(原書は1938年刊)の絵本らしく、黄色がじつに鮮やかです。ストーリーは、子猫の引きとり手が3人もあらわれるという意外な展開をみせますが、これ以外は考えられないという見事なラストに落ち着きます。この絵本も、完璧な一冊といえるでしょう。小学校低学年向き。

2010年11月17日水曜日

ひつじがこおりですべったとさ

「ひつじがこおりですべったとさ」(ミラ・ギンズバーグ/文 ホセ・アルエゴ/絵 エアリアン・デューイ/絵 山口文生/訳)

1頭のヒツジが、氷で足を滑らせました。ヒツジは氷にたずねました。「氷くん、氷くん、きみ、ぼくをすべらせたね。きみって強いの?」。すると、氷はこたえました。「わたしが一番強ければ、どうしてお日様に溶けるのさ」。そこで、ヒツジは出かけていって、お日様にたずねました。「お日さん、お日さん、世界で一番強いのはあなたですか?」。すると、お日様はこたえました。「わしが一番強ければ、どうして雲がわしをかくすのかね」そこで、ヒツジは雲にたずねました──。

わが国の「ネズミの嫁入り」によく似た、、強い相手を次つぎと訪ねてまわるお話です。このあとヒツジは、雨、大地、草、と訪ねていきます。話のオチも「ネズミの嫁入り」と一緒。絵は、マンガ風のユーモラスなもの。色合いがはっきりしているので遠目がききます。小学校低学年向き。

2010年11月16日火曜日

まいごになった子ひつじ












「まいごになった子ひつじ」(ゴールデン・マクドナルド/文 レナード・ワイスガード/絵 あんどうのりこ/訳 長崎出版 2009)

ある山の草原で、羊飼いの少年がヒツジの番をしていました。ヒツジの群れには、どの群れにも生まれる一匹の黒い子ヒツジがいます。黒い子ヒツジはよく群れをはなれてしまうので、そのたびに少年は口笛を吹いて犬を呼び、連れもどしにいかせなければなりませんでした。日が高くなり、しだいにあたたかくなってくると、少年はヒツジたちをつれて、さらに山を登っていきました。山頂のすぐ下にある緑の谷で、ヒツジたちは夢中になって草を食べました。少年はナナカマドの木の枝で、せっせと笛をつくり、犬はぽかぽかしたあたたかい岩の上でうたたねをしました。黒い子ヒツジがまた群れをはなれていくのに気づいた者は、だれもいませんでした。

黒い子ヒツジがいなくなったことに気づいた少年と犬は、ほうぼうを探しまわりますが、子ヒツジは見つかりません、日がかたむいてきたので、少年は仕方なく山を下り、ヒツジたちを連れて牧場にもどります。できるだけのことをしたんだ、朝まで待とう、朝になればあの子ヒツジは絶対みつかる。そう少年はベッドのなかで考えますが、眠ることができず、とうとう小屋を抜けだし、ピューマがうろついている山へむかいます。

ワイスガードの絵は、高い山あいの雰囲気が大変よくでています。夜の場面はカラーではなく、紫がかった2色となり、緊張感をかもしだします。絵も文章もともに充実した、素晴らしい一冊です。1946年度コールデコット賞オナー賞受賞作。小学校低学年向き。

2010年11月15日月曜日

なんでもふたつ










「なんでもふたつ」(リリー・トイ・ホン/作 せきみふゆ/訳 評論社 2005)

昔、小さな家に、ハクタクじいさんがおばあさんと住んでいました。ふたりは年寄りで、その上とても貧乏でした。ある春の朝、庭をたがやしていたハクタクじいさんは、土のなかから、真鍮でできた大きなかめを見つけました。なくさないように、サイフをかめのなかに入れ、家まではこんで帰ると、かめをおばあさんに見せました。かめをのぞきこんだおばあさんは、髪飾りを落としてしまいました。が、拾い上げてみると、髪飾りもサイフも2つになっていました──。

ハクタクじいさんとおばあさんは、サイフをかめに出し入れして、床を金貨でいっぱいにします。ところが、翌朝、ハクタクじいさんが買いものにいっているあいだ、おばあさんはかめのなかに落ちてしまい──。

なかにものを入れると、それが2つになって出てくるという、不思議なかめのお話。中国の昔話をもとにした絵本です。話はちょっとだけ「ひゃくにんのおとうさん」と似ています。絵は、太い描線にフラットな色づけがなされた切り絵風のもの(切り絵?)。タイトル通りなんでも2つになり、一時はどうなることかと思いますが、最後にはなにもかもうまくいきます。小学校低学年向き。

2010年11月12日金曜日

天使のクリスマス












「天使のクリスマス」(ピーター・コリントン/作 ほるぷ出版 1990)

クリスマスイブの夜、女の子はベッドのはしに靴下を置き、ほしいプレゼントのメモを置いてベッドに入りました。女の子が眠ると、窓から小さな守護天使がやってきました。守護天使は女の子のメモを大事にベルトにはさみ、クリスマスツリーのところにいくと、いくつものロウソクに火をつけました。そして、大勢の仲間とともにロウソクをもち、外に飛んでいきました。

「ちいさな天使と兵隊さん」同様、コマ割りされた絵で構成された、文字のない絵本です。絵は、水彩と色鉛筆で丹念にえがかれたもの。雪の日の静かな感じがよくでています。本書の冒頭には、「この本を、えんとつのない家にすむ 子どもたちに贈ります」という一文が記されています。守護天使たちがなぜロウソクをもって外にでたのが、その理由がわかったとき、思わず「そうか」と声を上げることうけあいです。巻末には、江國香織さんによる文章が載せられています。

「私は、こんなしずかな絵本に言葉を添えることに、ちょっとうしろめたさを感じながらこれを書いています」
と、江國さんは記しています。小学校中学年向き。

2010年11月11日木曜日

おふろぼうや










「おふろぼうや」(パム・コンラッド/文 リチャード・エギエルスキー/絵 たかはしけいすけ/訳 セーラー出版 1994)

おふろぼうやは木の人形です。パパ、ママ、おばあちゃん、お医者さま、おまわりさん、犬のジュンと一緒にお風呂のへりにならんでいます。パパは、ママとぼうやとおばあちゃんをつれて、せっけんの船に乗るのが好き。ぼうやがせっけんから落ちても、いつだってパパが助けてくれます。

ところが、ある晩、お風呂の栓が抜けて、ぼうやは排水口に吸いこまれてしまいます。みんなは毎晩、タオルのいかだに乗って、ぼうやの名前を呼びましたが、返事はありません。すると、ある日大きなひとが排水口をのぞきにきて──。

排水口に吸いこまれてしまった、おふろぼうやと、ぼうやを心配するその一家のお話です。排水口から助けられたものの、おふろぼうやはみんなのところにもどってきません。でも、最後はきちんと幸せな結末をむかえます。絵は、劇的な構図で描かれたみずみずしい水彩画。続編に「ぼくのおじいちゃん」があります。小学校低学年向き。

2010年11月10日水曜日

おちゃのじかんにきたとら












「おちゃのじかんにきたとら」(ジュディス・カー/作 晴海耕平/訳 童話館出版 1994)

あるところに、ソフィーという名前の小さな女の子がいました。ソフィーとお母さんが、台所でお茶の時間にしようとしたとき、突然、玄関のベルが鳴りました。牛乳屋さんかしら、雑貨屋の男の子かしら、お父さんかしらと、お母さんはいろいろ考えましたが、ソフィーがドアを開けてみると、そこには大きくて毛むくじゃらのトラがいました。「ごめんください。ぼく、とてもお腹がすいているんです。お茶の時間にご一緒させていただけませんか?」とトラがいったので、お母さんは、「もちろんいいですよ。どうぞお入りなさい」といいました。

お腹をすかせたトラは、パンもサンドイッチもパンもビスケットもケーキも牛乳もお茶も、みんな食べてしまいます。それでも、まだ足りなくて、トラは台所をみまわします。

お茶の時間にあらわれたトラのお話。ありえないお話を、じつに楽しくえがいています。トラは大きくて可愛らしく、大変魅力的。ソフィーがトラに抱きついたり、尻尾に頬ずりしたりしている絵など、トラの生きている感じがつたわってくるようです。そして、トラが去ったあとの展開もまた、これ以外に考えられない素晴らしいものです。小学校低学年向き。

2010年11月9日火曜日

ばしゃでおつかいに












「ばしゃでおつかいに」(ウィリアム・スタイグ/作 せたていじ/訳 評論社 2006)

お百姓のブタ、パーマーさんは朝早く、雇いのロバのエベネザーじいさんと一緒に、町に野菜を売りにいきました。10時までに野菜はすっかり売り切れ、パーマーさんはうちの者みんなにおみやげを買いました。太った奥さんにはカメラ、太った長男のマックには大工道具、太った長女のマリアには自転車、太った次男のゼークにはハーモニカ、太った自分には銀時計、そして日差しに弱いエベネザーじいさんには麦わら帽子。12時に家路についた2人は、うまくいけば約束通り3時までに家に帰れる予定でした。ところが、そこに大雨が降ってきました──。

このあと、2人は大変な目に遭います。まず、馬車がカミナリで倒れた木の下敷きになってしまいます。大工道具をつかってなんとか木を片づけたものの、こんどは馬車の車輪がはずれてしまいます。車輪をはめ直して出発すると、馬車を引いていたエベネザーじいさんが、足首をひねってしまいます。そこで、代わりにパーマーさんが馬車を引くのですが、坂道で馬車が暴走し、馬車はばらばらになってしまい──。

苦労をして家に帰りつく、ブタのパーマーさんとロバのエベネザーじいさんのお話。ウィリアム・スタイグの絵本は、いつも思いがけない困難と、そこからの脱出がえがかれますが、本書もまた同様です。たび重なる困難を、家族に買ったおみやげをつかってしのいでいくところが、面白いところです。小学校中学年向き。

余談ですが、ウィリアム・スタイグは絵本だけでなく、「ぬすまれた宝物」「アベルの島」「ドミニック」(いずれも評論社)といった読物も書いています。どれもスタイグらしい面白さに満ちています。

2010年11月8日月曜日

ひよことむぎばたけ









「ひよことむぎばたけ」(フランチシェク=フルビーン/作 ズデネック=ミレル/絵 ちのえいいち/訳 偕成社 1979)

一羽のひよこが、裏の畑で迷子になってしまいました。ひよこは麦畑にたずねました。「からす麦さん、教えてよ。うちへ帰るにはどういっくの?」「大麦さんに訊いてみな。知っているかもしれないよ」。

このあと、ひよこは小麦やライ麦に、お母さんのいるところを訪ねます。本書は、作者のフルビーンの詩を、ミレルが絵本に仕立てたもの。訳文も原文を反映してか、少し調子がつけられています。絵は水彩。構図の整った、柔らかで味わい深い絵がえがかれています。2008年にひさかたチャイルドから、同著者同タイトルの本が出版されていますが、別物と考えたほうがよさそうです。小学校低学年向き。

2010年11月5日金曜日

おとうさんの庭












「おとうさんの庭」(ポール・フライシュマン/文 バグラム・イバトゥリーン/絵 藤本朝巳/訳 岩波書店 2006)

昔、あるところにひとりの農夫がいました。農夫は、ヒヨコや子ブタや子牛が育っていくのをなによりの楽しみにしていました。農夫には3人の息子がいて、3人は一日中うたいながらはたらいていました。長男は御者の歌が、次男は海の歌が、末っ子は旅のバイオリン弾きの歌がお気に入りでした。

ある春のこと、日照りが何週間も続き、動物たちにやるえさも、親子が食べる小麦もなくなってしまいました。農夫は仕方がなく動物たちを売り払い、農場まで売り払って、生け垣にかこまれたちっぽけな小屋に移り住みました。やがて、待ちにまった雨が降りだしましたが、動物たちはもういないし、買いもどすお金もなかったので、農夫の心は深い悲しみにつつまれていました。

さて、刃物を研ぐ仕事をして、どうにか暮らしを立てていた農夫は、ある日、生け垣を刈りこもうとしたところ、それが牛のかたちに見えることに気がつきます。そこで、農夫は生け垣を、牛や羊やオンドリやブタやヤギのかたちに刈りこんでいきます。月日は流れ、長男が、「ぼくはどんな仕事をしたらいいでしょうか」とたずねると、農夫は生け垣を短く刈りこんでこういいます。「毎日、しっかり見なさい。よく観察することだ。生け垣はきっとおまえに答えをだしてくれるよ」。何週間も生け垣を見てすごした長男は、ある朝「わかったぞ!」と叫ぶと、生け垣を馬と馬車の姿に刈りこみ、御者になるために家をでていきます。

生け垣によって、心の願いを教えられる親子のお話です。このあと、次男は船乗りに、末っ子はバイオリン弾きになるために旅立ちます。そして、願い通りの仕事について帰ってきた子どもたちは、お父さんの願いに気がつきます。

作者のポール・フライシュマンは高名な児童文学作家。板にえがかれたトールペイントのような絵は、18・19世紀のアメリカの民俗芸術家たちの作品に影響を受けて描かれたということです。小学校高学年向き。

2010年11月4日木曜日

せかいいちゆうかんなうさぎラベンダー












「せかいいちゆうかんなうさぎラベンダー」(ポージー・シモンズ/作 さくまゆみこ/訳 あすなろ書房 2004)

ウサギのラベンダーは、線路ぎわの川の土手に住んでいました。ラベンダーは、静かに絵を描いたり、本を読んだりするのが好きでしたが、お兄さんやお姉さんたちは、大声で騒いだり、危なっかしい遊びをしたりするのが大好きでした。そのたびに、ラベンダーは心配でたまらなくなりました。

ある日のこと、町からキツネの一団がやってきました。みんなはキツネたちと一緒に食べたり遊んだりしましたが、ラベンダーは「いいキツネなんているわけないじゃない」と、仲間に入りませんでした。次の週もその次の週もキツネたちはやってきて、トランポリンや川遊びをしましたが、ラベンダーは一緒に遊びませんでした。その次の週、キツネたちはとなりの駅でおこなわれる婚約パーティにみんなを誘いました。ラベンダーはみんなを止めましたが、弱虫呼ばわりされ、怒って汽車にとび乗りました──。

さて、汽車はとなりの駅で停まり、キツネたちは森のなかにむかいます。その不気味な様子から、みんなは逃げだしてしまうのですが、ラベンダーだけはキツネの婚約パーティがおこなわれるテントにやってきます。

心配性のウサギ、ラベンダーのお話です。このあと、町のキツネと田舎のキツネのあいだが険悪になるのですが、ラベンダーの思わぬ活躍により、町のキツネはすくわれます。絵は、色鉛筆でえがかれた柔らかな味わいのもの。コマ割りや吹きだしのある、マンガ風のつくりです。絵もストーリーも可愛らしい読物絵本です。小学校中学年向き。

2010年11月2日火曜日

ハンナのひみつの庭










「ハンナのひみつの庭」(アネミー・ヘイマンス/作 マルフリート・ヘイマンス/作 野坂悦子/訳 岩波書店 1998)

家出をしたハンナは、水路をはさんだ家のむかいにある、ママの庭で暮らすことにしました。弟のルッチェ・マッテに頼んで、死んだママの部屋から、バスケットやテーブルセットや鏡台や長椅子をもってきてもらいました。ハンナは、パパやルッチェ・マッテのぶんの料理をつくり、犬やヤギに送り届けてもらいました。あるとき、大きな風が吹いて、吹きとばされたパパが庭に転がりこんできました──。

世の中には非常に紹介しにくい本があり、この絵本はそんな本のひとつです。訳者、野沢悦子さんによるこの絵本についての文章を紹介しましょう。

「『ハンナの秘密の庭』は、家族の問題をとりあげた作品です。主人公ハンナの反抗と自立が、この物語の大切なテーマ、いわば縦糸になっています。そこに、自分だけの世界にとじこもっていたハンナ、弟のルッチェ・マッテ、パパの3人が、ママの死を受け入れ、「かべ」を乗り越えて、ふたたび出会うまでの過程が、横糸として織り込まれているのです。〈秘密の園〉という古典的なイメージを使いながら、非常に現代的なテーマを感じさせる作品だと思います」

ママの庭は、水路をはさんだ、家のむかい側にあり、入り口はレンガでふさがれ、周りは壁にかこまれています。壁には穴が開いており、ハンナはそこから庭に入りこんで、ママの声を聞きながら暮らしはじめます。いっぽう、ルッチェ・マッテは字の練習をするために読んだおとぎ話にでてくるローザ姫を、ハンナとごっちゃにしてしまいます。また、ハンナの指示でいろいろなものをとってくるためにママの部屋に入ったルッチェ・マッテは、そこでママと話をします。書類仕事に没頭しているパパは、ハンナやルッチェ・マッテに心をむけません。

物語は、ハンナとルッチェ・マッテの視点からえがかれます。そして、この絵本は白黒のコマ割りによるページと、ママの部屋とママの庭が描かれたページ、それに見開きのカラーページの3つにより構成されています。見開きのカラーページでは、家からママの庭に、ママの部屋のいろいろなものが、そしてパパが、はこばれていきます。

ぜんたいに幻想味のある、静かで複雑な味わいの素晴らしい絵本です。最後に、ママを慕うハンナのことばを引用しておきましょう。

「ママは 消えていない
 ママの声は いまも 聞こえる
 サワサワとそよぐ 風のなか
 カサカサという 草のなか
 木立ちのなかで ママは 歌っている
 愛されて 死んだ人たちは
 みんな 歌いつづける」

小学校高学年向き。

2010年11月1日月曜日

あまがえるさん、なぜなくの?












「あまがえるさん、なぜなくの?」(キムヘウォン/文 シムウンスク/絵 池上理恵/共訳 チェウンジョン/共訳 さ・え・ら書房 2008)

昔、母さんのいうことを聞かないアマガエルの子がいました。この子は大のへそ曲がりで、母さんがなにをいっても反対のことばかりしていました。川でからだを洗いなさいといわれると、やだやだと山へぴょんぴょんはねていってしまいますし、もう水あそびはやめなさいといわれると、やだやだと川へぽちゃんと飛びこんでしまいます。子ガエルがあんまり反対のことばかりするので、母さんガエルは心配のあまり病気になってしまいました…。

母さんガエルは、子ガエルが反対のことをするだろうと見越して、「わたしが死んだら山ではなく、必ず川のそばに埋めてね」といい残します。が、それを聞いた子ガエルは──。

韓国の昔話をもとにした絵本です。どうしてアマガエルは雨が降るまえに鳴きだすのか、その由来を語っています。訳者の解説によれば、似た話は日本各地にもあり、地域によって、アマガエル、トビ、ヤマバト、ハト、フクロウ、カラスなどの鳴き声の由来をつたえているそうです。その、共通する大筋は、こんな風だといいます。

「親にさからうあまのじゃくな子がいた。親は息を引きとるときに川(海)のそばに埋葬してほしいと遺言する。親は、山に埋葬してほしかったので逆のことをいったのだが、子は遺言だけは守って、親を川(海)のそばに埋葬する。子は雨の日になると、親の墓が流されないかと心配して鳴くようになる」

絵は、子どもが描いたような生き生きしたもの。シンプルな昔話に、力強さをあたえています。小学校低学年向き。

2010年10月29日金曜日

マグナス・マクシマス、なんでもはかります











「マグナス・マクシマス、なんでもはかります」(キャスリーン・T・ペリー/文 S.D.シンドラー/絵 福本友美子/訳 光村教育図書 2010)

昔、あるところに、ものをはかるのが大好きなマグナス・マクシマスというおじいさんがいました。マグナス・マクシマスの家には、時計に天秤、温度計に晴雨計、望遠鏡に潜望鏡と、はかる道具がなんでもそろっていました。また、マグナス・マクシマスはもの数えるのが大好きでした。空の雲を数え、ゼラニウムの花びらを数え、顔のそばかすを数え、はしかのポツポツを数え、菓子パンのレーズンを数えました。

ある日、サーカスから一頭のライオンが逃げだしました。町のひとたちは大騒ぎで逃げだしましたが、マグナス・マクシマスは右手を上げてライオンの前に立ちはだかり、きっぱり「止まれ!」といいました。そして、ライオンのしっぽの長さを計り、ひげの長さを計り、たてがみのなかにいるノミの数をかぞえ、聴診器で心臓の音をかぞえました。そうこうするうちに、サーカスのライオン係がとんできて、ライオンを連れて帰りました。このことがあってから、マグナスは役所につとめ、ありとあらゆる「どのくらい」をはかるようになりました。

ところが、あるときマグナス・マクシマスは、自分のメガネを踏んでこわしてしまいます。メガネがなければ、なにもはかることができません。波の数でもかぞえようかと浜辺にいったところ、男の子がマグナスのところにやってきます。

なんでもはかって、なんでも数える、マグナス・マクシマスのお話。マグナス・マクシマスは、はかったり数えたりするのに夢中で、ひとが楽しそうにしていても悲しそうにしていても一向に気がつきません。ですが、浜辺で出会った男の子のおかげで、マグナスは少し変わります。精緻でユーモラスな絵が、ナンセンスなストーリーをよく支えています。小学校低学年向き。

2010年10月28日木曜日

めでたしめでたしからはじまる絵本












「めでたしめでたしからはじまる絵本」(デイヴィッド・ラロシェル/文 リチャード・エギエルスキー/絵 椎名かおる/訳 あすなろ書房 2008)

冒頭の一文はこうはじまります。
「騎士と お姫さまは 結婚して、すえながく 幸せに くらしましたとさ」
どうして、ふたりが結婚して、末長く幸せに暮らすことになったのかというと…
「ずぶぬれの 騎士が、かしこい お姫さまと 恋に おちたからです」
どうして、ずぶ濡れの騎士が、かしこいお姫さまと恋に落ちたのかというと…
「かしこい お姫さまが、大きな ボウル いっぱいの レモネードを、騎士に あびせたからです」

…というわけで、普通の物語の終わるところからはじまり、一体なにがあったのか、ひとつずつさかのぼって語っていく、という絵本です。一体なぜ、お姫さまは騎士にレモネードを浴びせたのでしょうか。ストーリーはみごとに円環をえがき、なるべくしてなったのだとわかります。絵は、描線のはっきりした、すこしセンダック風の水彩画。原題はずばり“THE END”。おとぎ話のパターンになれた子は、この遊び心を楽しんでくれることでしょう。小学校中学年向き。

2010年10月27日水曜日

木ぼりのオオカミ












「木ぼりのオオカミ」(萱野茂/文 斎藤博之/絵 小峰書店 1998)

わたしは石狩川のほとりで生まれました。お父さんは狩りの名人だったので、わたしも小さいころから弓や狩りの仕方を習いました。おかげで、ひとりで遠い狩りにでかけられる男になりました。ある年の秋、わたしは遠い川上にいってみたくてたまらなくなりました。夢中で舟をこぎ、気づいたときは見知らぬ場所にきていましたが、幸い村をみつけ、一軒の特別大きな家に泊めもらうことができました。その家には、白いひげのおじいさんと、おばあさんと、それに息子さんが住んでいました。3人とも大変親切なひとたちでしたが、なにか心配ごとがあるらしく、とても悲しそうな顔をしていました。

〈わたし〉は、もっともっと川上にいきたいと思い、どんどん山奥に駆けていきます。すると、ぽつんと小さな一軒の家があり、子どもを抱いた美しい女のひとがいます。じつは、この女のひとは〈わたし〉が最初に訪れた家のひとで、ある事情からここで暮らしていたのです。この家には毎晩クマがやってくるのですが、兄からもらった木彫りのオオカミがクマを追い払ってくれたと女のひとは話します。どうか家に連れ帰ってほしいといわれ、夜、〈わたし〉が眠らずに外の様子をうかがっていると──。

アイヌの民話をもとにした絵本です。巻末の解説によると、アイヌのひとびとは、自分の手でつくった4つ足がついていて頭のあるものには、すべて魂が入っているのだと信じていたそうです。特にお守りは、ふだんは決してひとに見せず、肌身はなさずもっているもので、精神のよいひとに心をこめてつくってもらったものは、ほんとうに魂が入っていてお守りの役目をはたしてくれると信じていたということです。

このあと、クマは〈わたし〉に退治されるのですが、その晩、枕元にクマの神があらわれ、なぜこんなことをしたのか話します。その哀切な告白は胸を打ちます。小学校高学年向き。

2010年10月26日火曜日

魔女たちのハロウィーン

「魔女たちのハロウィーン」(エイドリアン・アダムズ/作 かけがわやすこ/訳 佑学社 1993)

最近は人間たちが増え、なにをするのもむずかしくなってきました。人間は、魔女たちのことをわかってくれないのです。でも、子どもたちはちがいます。そこで、魔女たちはハロウィーンの夜にほんものの魔女パーティーをひらいて、人間の子どもたちを招待することにしました。

魔女たちは、大きな木のまわりにカボチャを積み上げ、高い塔をつくります。塔のなかは、マジックミラーや薄気味悪い明かりで背すじが寒くなるように。てっぺんは飛行場にして、コウモリ・ハングライダー乗り場にします。そして、ハロウィーンの夜、招待状をもらった子どもたちがパーティーにやってきます。

子どもたちは、コウモリ・キャンディを食べ、コウモリ・ハングライダーで夜空の散歩を楽しみます。文章はほとんど魔女たちや子どもたちの会話で進み、仮装した子どもたちと魔女たちによるパーティーは、少々不気味ながらも楽しい雰囲気をかもしだしています。小学校中学年向き。

2010年10月25日月曜日

きんいろのしか












「きんいろのしか」(J.アーメド/案 石井桃子/再話 秋野不矩 /絵 福音館書店 1988)

昔、グリスタンと呼ばれた南の国に、ひとりの王様が住んでいました。この王様が世界で一番好きなのは金でした。王様は国中の金を御殿の倉におさめさせ、ほかの者はひとかけらの金もつかってはならないというお触れをだしていました。ある日、家来をつれて森へ狩りにでかけた王様は、木々の影のあいだから、きらりきらりともれる不思議な光をみつけました。それは、からだ中が金色に輝く鹿でした。鹿が大きな木のまわりを踊ると、その足跡は金の砂に変わってあたりに飛び散るのでした。

さて、森のむこうの草原では、ホセンという男の子が牛追いをしていました。森から、王様に追われた鹿があらわれると、ホセンは驚いていいました。「美しい鹿よ、どうしたのだ?」。すると鹿はいいました。「私は追われています。追っ手のひとたちがやってきても、私の行方を話さないでください」。

鹿が去ると、王様の家来たちがやってきて、鹿の行方をたずねました。ホセンがごまかしていると、家来たちはホセンを王様のところに連れていきました。そして、家来から事情を聞いた王様は、火のように怒っていいました。「3日のうちにあの鹿を捕まえてこい。さもなくば、貴様の命はない」。

泣きながら牛やけものたちのところにもどってきたホセンに、けものたちは金色の鹿をさがしだして相談してみることをホセンに勧めます。そこで、ホセンは翌朝、金色の鹿をさがしに旅立ちます。

バングラデシュの昔話をもとにした絵本です。このあと、ホセンはトラやゾウに出会い、金色の鹿の居場所を教わります。秋野不矩さんの絵はみずみずしく、金色の鹿の気高さが印象的にえがかれています。絵もストーリーも気品のある一冊です。小学校中学年向き。

2010年10月22日金曜日

きつねとトムテ










「きつねとトムテ」(カール‐エリック=フォーシュルンド/詩 ハラルド=ウィーベリ/絵 やまのうちきよこ/訳 偕成社 1981)

ある冬の夜、空一面のきらめく星に照らされて、お腹をすかせたキツネが一匹歩いていました。キツネは雪の野原を横切ると、農場に入り、牛小屋をのぞき、鳥小屋の前にやってきました。なかのニワトリを食べようと、鳥小屋に入ろうとしたとき、キツネはだれかに見られているような気がしました。振りむくと、木陰に小人が立っていました。

小人は赤い毛布の帽子をかぶり、白いヒゲを長く伸ばしたトムテでした。トムテはクリスマスのおかゆをキツネに食べさせ、ニワトリを食べるのをやめさせます。

北欧のクリスマスに材をとった絵本です。注釈によれば、北欧では、家の見回りをしてくれるトムテのために、クリスマスが近づくと、うつわに盛ったおかゆを家のまえや仕事場にだしておく風習があるそうです。トムテがキツネに食べさせたのは、このクリスマスのおかゆでした。また、あとがきによれば、もともとの文章は詩で、この詩に心打たれた画家が絵を描き、絵本をつくったそうです。冬の夜の絵は大変素晴らしく、キツネやトムテと一緒にいるような臨場感に満ちています。小学校低学年向き。

2010年10月21日木曜日

テーブルのした










「テーブルのした」(マリサビーナ・ルッソ/絵と文 青木久子/訳 徳間書店 1998)

退屈なときやひとりになりたいとき、わたしはテーブルの下にやってきます。ここにいると、なんだか落ち着くのです。わたしのお人形もここが好きだし、枕も、、クレヨンも、クッキーもここが好き。わたしの犬もここが好きで、いつもそばにきて、わたしをぺろぺろなめます。

そんな〈わたし〉は、あるとき、テーブルの裏にクレヨンでお絵かきをしてしまいます。そうじをするので、テーブルを壁に立てかけたとき、パパとママはびっくり。そのとき突然、〈わたし〉は落書きをしてはいけないといわれたことを思い出します──。

テーブルの下が大好きな女の子のお話。絵は、はっきりした色をつかった、それでいて柔らかな味わいのもの。テーブルの裏に落書きをしてしまった〈わたし〉にたいする、パパとママの応対ぶりが見事です。本書冒頭の献辞には、作者と同様に、訳者と思われるひとも名前をつらねています。訳者も献辞に参加しているというのは、なかなかめずらしいかもしれません。小学校低学年向き。

2010年10月20日水曜日

えをかく










「えをかく」(谷川俊太郎/作 長新太/絵 講談社 2003)

谷川俊太郎さんの詩に、長新太さんが絵をつけた絵本です。詩はこんな風。

「まずはじめに じめんをかく
 つぎには そらをかく
 それから おひさまと ほしと つきをかく
 そうして うみをかく

 うみへながれこむ かわと かわの はじまる やまをかく
 もりをかく
 もりにすむ しかをかく」

詩は、絵本の上部にまるでテロップのように記されており、詩によってとりあげられる事物を、長新太さんが律儀に絵にしていきます。絵本の絵はうごかないはずですが、次つぎにあらわれる絵は、不思議とアニメーションをみているような気分にさせてくれます。奥付によれば、本書は1979年に刊行されたものの新装版です。小学校低学年向き。

2010年10月19日火曜日

絵本ジャンヌ・ダルク伝











「絵本ジャンヌ・ダルク伝」(ジョゼフィーン・プール/文 アンジェラ・バレット/絵 片岡しのぶ/訳 あすなろ書房 2004)

ブーテ・ド・モンヴェルの「ジャンヌ・ダルク」同様、ジャンヌの生涯を絵本にしたものです。「ジャンヌ・ダルク」とくらべると、その生涯はだいぶ簡略化されています。

また、物語の押さえているポイントも、それぞれちがいます。たとえば、オルレアンを包囲していた敵将の名は、ウィリアム・グランデールといい、甲冑をつけたまま川に落ちて溺れ死んだことが「ジャンヌ・ダルク伝」には描かれているのですが、「ジャンヌ・ダルク」ではこのエピソードは触れられていません。

また、ご存じのように、イギリス軍の手に落ちたジャンヌは、異端審問にかけられ、火あぶりの刑に処せられます。「ジャンヌ・ダルク」では、居合わせた者たちは、死刑執行人も裁判官たちもみな泣き、「──しまった、聖女を焼き殺したのだ!」という、イギリス人の叫びをもって、物語を終わらせています。

同じ場面を、「ジャンヌ・ダルク伝」はこんな風に描きます。

「刑を執行したのはイギリス人でした。けれども、最後に小さな木彫りの十字架を作ってジャンヌにわたしたのも、ひとりのイギリス人でした」

うがった見方をすると、この文章は、本書がイギリスで出版されたために記されたのかもしれません。小学校高学年向き。

2010年10月18日月曜日

ジャンヌ・ダルク











「ジャンヌ・ダルク」(M・ブーテ・ド・モンヴェル/作 やがわすみこ/訳 ほるぷ出版 1978)

ジャンヌ・ダルクは1412年1月12日、フランスはロレーヌ地方のドンレミイという小さな村に生まれました。父はジャック・ダルク、母はイザベル。素朴ではたらき好きで、暮らしむきも豊かなお百姓の一家でした。

13歳のとき、ある夏の真昼、庭にいたジャンヌは不思議な呼び声を耳にしました。続いて、目もくらむような光とともに、大天使ミカエルがあらわれて、逆境にあるフランス王太子を助け、ランスで戴させるようにとジャンヌに告げました。

その後も、天からの呼び声はくり返し聞こえてきます。18歳になったジャンヌは、家を抜けだすと近くに住む叔父さんを訪ね、お告げのままにヴォークールールの守備隊長ボオドリクールのもとへ連れていってくれるように頼みました。叔父さんは、可愛い姪の熱心な訴えにうごかされ、つきそい役になることを承知してくれました。

ボオドリクールと面会したジャンヌは、神のお告げのことを物語り、王太子に紹介してほしいと頼みますが、断られます。いったんはドンレミイにもどったジャンヌでしたが、かさねてのお告げを受けて、再びヴォークールールにむかいます。

ジャンヌ・ダルクの生涯をもとにした読物絵本です。巻末の解説によれば、作者のブーテ・ド・モンヴェルはフランス絵本の創始者。絵柄は版画風で、当時の風俗がていねいに描かれています。作者によれば、ジャンヌは戦場で剣を振ったことがなかったそう。

「ジャンヌの唯一の武器は旗でした。この旗をかかげて前線をあちこちとびまわり、味方にかぎりない励ましをあたえるのでした」

「絵本の世界110人のイラストレーター 第2集」(堀内誠一/編 福音館書店 1984)のなかで、堀内誠一さんはこう書いています。

「“もっとも美しい絵本”を選ぶとき「ジャンヌ・ダルク」を忘れるわけにはいかない」

品格のある、素晴らしく美しい絵本です。小学校高学年向き。

2010年10月15日金曜日

おはなしおはなし












「おはなしおはなし」(ゲイル・E・ヘイリー/作 あしのあき/訳 ほるぷ出版 1978)

昔むかし、世界中にお話はひとつもありませんでした。というのも、ニヤメという空の王者が、自分の椅子そばにおいている小箱に、お話をぜんぶしまいこんでいたからです。ところが、あるときアナンセという名のクモ男が、ニヤメがもっているお話を買いとってやろうと思いつきました。そこで、アナンセはクモの糸を編んで空まで届くはしごをつくり、空の王者を訪ねました。

アナンセの頼みごとを聞いたニヤメは、笑いながらこういいます。「わしの話がほしけりゃな、〈ガッブリのかみま〉のオセボ・ヒョウ、〈チックリさしま〉のムンボロ・クマンバチ、〈コッソリいたずらま〉のモアチアようせいをもってこい」。そこで、アナンセは地上にもどり、ニヤメがほしがるものを手に入れにでかけます。

アフリカの民話をもとにした絵本です。知恵のまわるクモ男はみごとにニヤメがほしがる3つのものを手に入れ、ニヤメからお話の箱を買いとります。文章は、おじいちゃんが子どもたちに語り聞かせるというスタイル。絵は色鮮やかな版画で、遠目がよく効きます。この本にはまえがきがあり、そこには、アフリカのひとたちはこんな文句からお話をはじめると書かれています。

「いいかい? これからはなすことが、ぜったいに、ほんとのことかどうか、なんとも、なんともいえないのだがね、まあ、きいてくれ。きょうはどんなおはなしになるかな。さあ、おはなし、おはなし……」

1971年度コールデコット賞受賞作。小学校低学年向き。

2010年10月14日木曜日

アナトールさんのロバ









「アナトールさんのロバ」(ロラン・ド・ブリュノフ/作 ふしみみさを/訳 青山出版社 2006)

アナトールさんはロバがほしくてたまりませんでした。ある朝、きょうこそロバを手に入れようと決心し、市場にでかけました。でも、ロバは売っていなかったので、代わりに牡牛を買ってきました。次の日、市場にでかけたアナトールさんは、ロバの代わりにヒツジを買ってきました。その次の日はヤギを、その次の日は、動物はなにも売っていなかったので、帰り道にうっかり踏みそうになったカエルをつれて帰りました。

このあと、動物たちはアナトールさんのためにロバをさがしにでかけます。一匹、また一匹と旅立っていき、ついにみんないなくなってしまいます。アナトールさんはとてもさみしく思うのですが──。

あいにきたよボノム」のブリュフの作品です。ストーリーは、軽妙な絵柄同様シンプルですが、心あたたまります。小学校低学年向き。

2010年10月13日水曜日

おじいちゃんとテオのすてきな庭











「おじいちゃんとテオのすてきな庭」(アンドリュー・ラースン/文 アイリーン・ルックスバーカー/絵 みはらいずみ/訳 あすなろ書房 2009)

テオのおじいちゃんのうちには素敵な庭がありました。カエデの木陰に置いた椅子にすわって、テオはおじいちゃんから、草花についてのいろんな話を聞くことができました。でも、おじいちゃんは、庭のないアパートに引っ越してしまいました。そこで、テオはおじいちゃんと、大きなキャンバスに庭の絵を描くことにしました。

キャンバスの上の庭づくりは、まず石の塀をつくるところから。塀を描き、空を描き、緑と赤と青を混ぜて茶色をつくり、石塀の下に塗っていくと、庭に土が入ります――。

テオとおじいちゃんが、キャンバスに庭を描いていくという絵本です。テオたちはコラージュ、描かれた庭はペイントで表現されています。最後、おじいちゃんに庭を任されたテオは、庭づくりを立派にやりとげます。小学校低学年向き。

パンはころころ

「パンはころころ」(マーシャ・ブラウン/作 やぎたよしこ/訳 富山房 1994)

昔、おじいさんとおばあさんがいました。ある日、おじいさんが、「なあ、ばあさんやわしにパンをつくっておくれ」といいました。うちには粉がないんですと、おばあさんがいうと、おじいさんは、「こね鉢の底ひっかいて、粉箱の底はいてみな。粉はたっぷりとれるとも」といいました。そこで、おばあさんは、めんどりの羽でこね鉢の底をひっかき、粉箱の底をはいて、粉をふたつかみ手に入れると、パンを焼き上げ、窓辺でさましておきました。

おだんごぱん」の類本の一冊です。このあと、窓辺でおとなしくしていたパンは、突然ころころ転がりだし、広い世間へでていき、ノウサギやオオカミやクマやキツネと出会います。パンのうたう歌は、この本ではこんな感じです。

「こねばちの そこ ひっかいて、
 こなばこの そこ はいたらば、
 こなが とれたよ、ふたつかみ。
 その こな こねて、
 クリーム まぜて、
 こんがり やいて、
 まどの ところで さまして できた、
 それが この ぼく、パンさまだ。
 ぼくは ふたりも だましたよ。
 おばあさんから ひらりと にげて、
 おじいさんから するりと にげて、
 あんたからだって にげだすよ。
 にげだしちゃうよ、のうさぎさん!」

小学校低学年向き。

2010年10月8日金曜日

よるのおるすばん










「よるのおるすばん」(マーティン・ワッデル/文 パトリック・ベンソン/絵 山口文生/訳 評論社 1996)

フーにポーにピヨという3羽のフクロウのヒナが、お母さんと一緒に木の幹のほら穴に住んでいました。ある夜、目をさますとお母さんがいません。3羽は、「きっと狩りにいったのよ」「ごはん、とってきてくれるんだ」「ママに会いたいよう!」といいながら、ほら穴をでて、木の枝にとまってお母さんの帰りを待つことにしました。

お母さんはなかなか帰ってこないので、フクロウのヒナたちの不安はつのります。夜の森の雰囲気とあいまって、ヒナたちの心細さがひしひしとつたわってきます。ヒナたちは写実的ですが、しぐさなどは可愛らしく描かれています。ラスト、お母さんが帰ってくる場面では、だれもが安堵の息を吐くことでしょう。小学校低学年向き。

2010年10月7日木曜日

魔女たちのパーティ








「魔女たちのパーティ」(ロンゾ・アンダーソン/作 エイドリアン・アダムズ/絵 奥田継夫/訳 佑学社 1987)

変装をしたファラディは、わくわくしながらアーティチョークで開かれるハロウィン・パーティにでかけました。その途中、魔女の影がふたつ、月を横切るのをみかけました。ファラディはぞーっとしましたが、魔女たちを追って、森の奥深くに入りこんでいきました。

森のなかの広場では、魔女たちがパーティの準備をしており、小鬼たちや大鬼たちもあつまってきます。その様子を、ファラディはかくれてみていましたが、大鬼のオットーにみつかってしまいます──。

ハロウィンを題材にした絵本です。このあと、なんとか助かったファラディは、親切な小鬼のお母さんや魔女に助けられ、ぶじハロウィン・パーティにたどり着きます。ちょっと怖いのですが、同時にユーモアもたっぷりあります。絵は濃いめの水彩。色づかいは渋く、鮮やかです。ハロウィンを題材にした絵本のなかでも、代表的な一冊といえるでしょう。小学校中学年向き。

2010年10月6日水曜日

わらのうし












「わらのうし」(内田莉莎子/文 ワレンチン・ゴルディチューク/絵 福音館書店 1998)

あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。それはそれは貧乏で、おじいさんはタールをつくり、おばあさんは糸をつむいでやっとのことで暮らしていました。ある日のこと、突然おばあさんがいいました。「おじいさん、わらで牛をつくっとくれ。横っ腹にタールをぬっとくれ」。おじいさんは文句をいいながらも、わらの牛をつくり、横っ腹にたっぷりタールをぬりました。翌朝、わらの牛をつれて丘にのぼったおばあさんは、糸をつむぎながら居眠りをはじめました。すると、暗い深い森の奥からクマがやってきました──。

イヌに腹を食いちぎられたクマは、わらの牛にタールをよせといいますが、わら牛はこたえません。腹を立てたクマは、わらの牛のタールをはぎとろうとしますが、逆にくっついてしまいます。そこへ、目をさましたおばあさんがおじいさんを呼び、クマは捕まってしまいます。

その後はくり返し。次はオオカミ、その次はキツネがわらの牛に捕まってしまいます。おじいさんは捕まえた3匹を逃がしてやり、3匹はおじいさんたちにいろいろなものをもってきます。

ウクライナの昔話を元にした絵本です。大きな絵本で、タテ29センチ、横31センチもあります。絵を描いたのもウクライナのひとで、その国のひとでなければ描けないような味わいがあります。内田さんの再話は、まったく無駄のない素晴らしいもの。カバーの袖に内田さんの写真が載せられています。小学校低学年向き。