2009年12月25日金曜日

かぜはどこへいくの












「かぜはどこへいくの」(シャーロット・ゾロトウ/作 ハワード=ノッツ/絵 松岡享子/訳 偕成社 1981)

一日が終わりました。きょうはいい日でした。夜、男の子がお母さんにたずねます。「どうして昼はおしまいになってしまうの」「夜がはじめられるようによ」「風がやんだらどこへいくの?」「遠くへ吹いていって、どこかでまた木をゆらすのよ」

こんな調子で、ベッドいる男の子と、お母さんの会話が続きます。最後に男の子はこういいます。「おしまいになっちゃうものはなんにもないんだね」。おだやかな夜の雰囲気に満ちた一冊です。小学校低学年向き。

2009年12月24日木曜日

しずかなおはなし












「しずかなおはなし」(サムイル・マルシャーク/文 ウラジミル・レーベデフ/絵 うちだりさこ/訳 福音館書店 1978)

父さんと母さんとぼうやの、はりねずみの家族が夜中散歩にでかけました。そこへ2匹のおおかみが近よってきたので、一家は針を逆立てて丸くなりました。父さんと母さんはぼうやにいいました。「じっとしておいで。うごかないで。おおかみたちは悪いやつ、油断をしてはいけないよ」

小さな声で、そっと読むお話です。本文はリズミカルな文章で書かれています。少し引用してみましょう。

《はりねずみの かぞくが すんでいた
 とうさんと かあさんと ぼうやの はりねずみ
 しずかな しずかな はりねずみ
 ぼうやも しずかな はりねずみ》

水彩の、リアリティに富んだ絵が、森の静かな雰囲気をかもしだしています。お話会の定番絵本のひとつです。小学校低学年向き。

2009年12月22日火曜日

オオカミと石のスープ












「オオカミと石のスープ」(アナイス・ヴォージュラード/作・絵 平岡敦/訳 徳間書店 2001)

ある冬の夜、年をとったオオカミがメンドリの家のドアをたたいていいました。「すこし暖まらせてください。そうしたら、石のスープをつくってあげましょう」。メンドリが家に入れてあげると、オオカミはさっそく石のスープをつくりはじめました。スープにはいつもセロリを少し入れるのよとメンドリがいうと、なるほど、それはおいしくなりそうだとオオカミはこたえました。すると、ブタがやってきました。メンドリから石のスープの話を聞くと、だったらズッキーニも入れたらどうかなと、ブタはいいました。

このあと、メンドリのうちにどんどん動物たちがやってきて、スープの具はどんどん増えていきます。「せかい1おいしいスープ」や「しあわせの石のスープ」と同趣向の話ですが、主役が年をとったオオカミというところがちがいます。石のスープという騙りの常習犯であるらしいオオカミが、哀感をもってえがかれているところがユニークです。昔話を新しい視点でアレンジした一冊です。子どもより大人が楽しむ絵本かもしれません。小学校低学年向き。

2009年12月21日月曜日

しあわせの石のスープ











「しあわせの石のスープ」(ジョン・J.ミュース/作 三木卓/訳 フレーベル館 2005)

ホク、ロク、ソーという、3人の旅をしているお坊さんがいました。3人はある村をおとずれましたが、家の戸をたたいてもなにも返事がありません。この村は、洪水にあったり戦争でひどい目にあったりしたので、よそからきたひとたちを信用できなくなっていたのです。「この村の人たちは、幸せを知らぬ」。そこで、3人は石のスープをつくることにしました。

お坊さんたちが石のスープをつくっていると、最初は勇気のある女の子が、それから村人たちが、興味をもってみにきます。それから、大きな鍋で、みんなで協力し石のスープをつくることになり、最後は大宴会がひらかれます。

マーシャ・ブラウンの「せかい1おいしいスープ」と同内容のお話(原題はどちらも「Stone Soup」)。ただし、話の舞台は中国にうつされています。ちょっとお説教臭いのは、登場人物が兵隊からお坊さんになったからかもしれません。ジョン・J・ミュースの水彩画はたいへん美しく、見応えがあります。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年12月19日土曜日

せかい1おいしいスープ












「せかい1おいしいスープ」(マーシャ・ブラウン/再話・絵 わたなべしげお/訳 ペンギン社 1979)

戦争が終わり、3人の兵隊が故郷にむかって、てくてくと歩いていました。3人はもう2日もなにも食べていなかったので、村をみつけると、あそこで食べものにありつけたり、牛小屋の屋根裏でひと眠りしたりできるかもしれないぞと話あいました。ところが、村のひとたちは3人の兵隊がやってくるのを知ると、食べものをみんな隠してしまいました。そこで、3人は相談し、われわれはこれから石のスープをつくると村人に宣言しました。

とんちを効かせた兵隊たちの活躍が楽しい絵本です。石のスープに興味をもった村人たちは、兵隊たちのすることに協力し、最後は大パーティーとなります。訳者あとがきによれば、フランスの昔話「奇妙なスープ」を題材にして本書はつくられたということです。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年12月17日木曜日

いちばんのなかよし










「いちばんのなかよし」(ジョン・キラカ/作 さくまゆみこ/訳 アートン 2006)

どうぶつ村では、ネズミがとても大事にされていました。ネズミだけが火のおこしかたを知っていたからです。村の動物たちは、毎朝ネズミのところにやってきて、火を分けてもらいました。ある年、雨が降らない日が続き、畑の作物が枯れはじめました。そこで、となりに住んでいる仲良しのゾウがいいました。「きみのうちには壁がない。泥棒が入るかもしれないよ。きみの蓄えはぼくが預かってあげよう」

その後、日照りが続き、ネズミはゾウに預けていた蓄えを返してもらいにいきますが、ゾウは返してくれません。ネズミは村を去り、ゾウは村の動物たちに責められます。また、ネズミが火をつかって仕返しにくるのではないかと心配になります。

巻末の訳者あとがきによれば、作者のジョン・キラカはタンザニアの絵本作家。独特の絵は、ティンガティンガ派とよばれる画風だそうです。絵本のストーリーは、昔話に作者がオリジナルな味つけをしたものではないかと、訳者のさくまゆみこさんは想像しています。ともすれば、お説教くさくなってしまいそうな話ですが、趣のある絵と、充分に報いをうけるゾウのおかげで、面白い作品になっています。小学校低学年向き。

2009年12月16日水曜日

山の上の火












「山の上の火」(ハロルド・クーランダー/文 ウルフ・レスロー/文 渡辺茂男/訳 佐野昌子/絵 ジーシー 1995)

昔、アジズ・アベバという町に、アルハという名の若者が住んでいました。アルハは子どものときに田舎から町にやってきて、ハプトム・ハセイというお金持ちの召使いになりました。ハプトムは、お金でできることはみんなやってしまい、ときどき退屈でたまらなくなりました。ある寒い夜、ハプトムはあることを思いついていいました。「人間というものは、どのくらいの寒さまでがまんできるものかな。たとえば、スルタ山のてっぺんでひと晩中はだかでいても生きていられるだろうか」。そこで、アルハはハプトムと賭けをすることになりました。

スルタ山のてっぺんで、ひと晩中裸でいられれば、賭けはアルハの勝ちです。勝てば、家と牛とヤギと畑がもらえます。でも、いざ賭けをするとなると、アルハは不安になり、物知りのじいさんに相談します。じいさんは、谷をへだてた反対側の山で、たき火をすることを申し出ます。「おまえはひと晩中わしの燃す火をみつめながら、暖かい火のことを考えるんじゃ」。さて、アルハは賭けに勝つことができるでしょうか。

エチオピアの昔話に材をとった読物絵本です。文章は「山の上の火」(岩波書店 1963)から借用したそうです。よく似た話は、トルコの有名なとんち話の主人公、ナレスディン・ホジャの物語を絵本にした、「ホジャどんのしっぺがえし」(ギュンセリ・オズギュル/作 ながたまちこ/訳 ほるぷ出版 1983)にみることができます。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年12月15日火曜日

やまなしもぎ











「やまなしもぎ」(平野直/再話 太田大八/画 福音館書店 1978)

昔、あるところに、お母さんと3人の兄弟が住んでいました。お母さんはからだの具合が悪く、寝ていましたが、ある日兄弟を呼んで、「おくやまのやまなしが食べたいな」といいました。そこで、一番上の太郎がやまなしもぎにでかけました。途中、太郎は大きな切り株にすわっているばあさまに出会いました。ばあさまは太郎をみると赤い欠け椀をだして、「すまんが水をくんでくれんかの」と頼みましたが。が、太郎は忙しいからと断りました。やまなしもぎにいくという太郎に、ばあさまは「この先の《3本のまっかみち》に3本の笹が立っていて、風に鳴っているけに、「ゆけっちゃかさかさ」というほうにゆきもさい」と教えてくれました。

ところが、太郎はばあさまの忠告を聞きません。きつつきやふくべの教えてくれた前兆にも耳を傾けず、やまなしをとろうとしたところ、沼の主にげろりと呑みこまれてしまいます。以下はくり返し。最後、末っ子の三郎がみごと沼の主を倒し、やまなしをもって帰ります。

岩手の民話を再話した絵本です。ストーリーは緊密に構成され、手に汗握る面白さです。最後のページで、元気にはたらいているお母さんの姿がうれしいです。小学校低学年向き。

以下は余談。同じ民話を題材にした絵本に、「なしとりきょうだい」(かんざわとしこ/文 えんどうてるよ/絵 ポプラ社 1977 )があります。でも、話のバージョンがちがうのか、神沢利子さんの創作が入っているのか、ストーリーはいささかちがいます。また、「なしとりきょうだい」は本編以外の付録が多く、巻末に話を聞いた子どもたちの感想や絵、それから作者たちの苦労話などの興味深い記事が載せられています。

2009年12月14日月曜日

むこう岸には










「むこう岸には」(マルタ・カラスコ/作 宇野和美/訳 ほるぷ出版 2009)

川岸に村があり、女の子と家族が住んでいました。むこう岸にも村がありましたが、あっちのひとたちは、わたしたちとはちがっているんだよと、みんながいっていました。変なものを食べるし、髪の毛をとかさないし、怠け者で騒ぞうしいし。ある日、女の子はむこう岸で男の子が手を振っているのに気がつきました。女の子が手を振ると、男の子はにっこりしました。あくる日、岸辺に綱のついたボートがあり、女の子はボートに乗りこみました。

むこう岸にわたった女の子がみたものは、こちら側とまるで変わらない暮らしでした。女の子と男の子は、大人になったら川に橋をかけようという夢をもちます。「そうしたら、なんぜんかいでも、なんまんかいでも、こっちからあっちへ、あっちからこっちへ、あいにいけるだろう」。清新な絵が、テーマを過不足なく表現しています。小学校中学年向き。

2009年12月11日金曜日

にげだしたひげ









「にげだしたひげ」(シビル・ウェッタシンハ/作 のぐちただし/訳 木城えほんの郷 2003)

昔、スリランカという国に小さな村がありました。その村には、ひげそりもはさみもなかったので、じいさんたちはみな、ひげを長くのばしていました。そして、あんまり長くなると、まな板の上で魚を切るように、ほかのひとに包丁でひげを切ってもらっていました。ところが、ハブンじいさんだけはちがっていました。というのも、ハブンじいさんは、ねずみにひげをかじってもらっていたのです。

ところが、ある日のこと、ねずみの歯が丸くなっていて、かじってもひげが短くなりません。早く歯を研いできておくれと、ハブンじいさんがいうと、これを聞いたひげはあわてて逃げだし、部屋中に、そして村中のあらゆるものにからみつきます。描きようによってはグロテスクになってしまう題材ですが、ウェッタシンハの幸福感のある絵が、じつに愉快に物語を表現しています。また、話のおさめかたも絶妙です。小学校低学年向き。

2009年12月10日木曜日

ふるやのもり









「ふるやのもり」(瀬田貞二/再話 田島征三/絵 福音館書店 2007)

昔、ある村のはずれに立派な子馬を育てている、じいさんとばあさんがいました。その馬小屋に、ある雨の晩、子馬を盗もうと馬泥棒が忍びこみ、梁にのぼって隠れていました。それから子馬を食べようと、山のオオカミも馬屋に忍びこみ、わらの山のなかに隠れていました。そうとは知らない、じいさんとばあさんは、「この世でいちばん怖いもの」について話をしていました。2人が、「この世でいちばん怖いものは泥棒でもオオカミでもない、“ふるやのもり”じゃ」というので、それはいったいどんな化け物だろうと、泥棒もオオカミも怖くなりました。そのうちに、雨がざんざん降ってきて、古い家のあちこちで雨もりがしてきました。そこで、じいさんとばあさんは一緒に「そら、ふるやのもりがでた!」と叫びました。

泥棒の首筋にも雨もりのしずくがたれてきたので、泥棒はびっくり仰天。梁からとび降りると、そこはオオカミの背の上で、オオカミも仰天。オオカミは泥棒を背にのせて、夜が明けるまで駆け続けます。ここまでが前半。後半は木のほらに逃げこんだ(オオカミが“ふるやのもり”だと思いこんでいる)泥棒を退治しに、サルがでかけていき、サルの顔はなぜ赤いかという由来が語られます。読み聞かせをする場合、夜の場面など遠目がききづらいかもしれません。でも、話は無類の面白さです。小学校低学年向き。

2009年12月9日水曜日

こぶたのバーナビー












「こぶたのバーナビー」(U.ハウリハン/文 やまぐちまさこ/訳 なかがわそうや/絵 福音館書店 2006)

森のはずれに住んでいる、こぶたのバーナビーのところに、ある日おばさんから小包が届きました。なかには、ぴかぴかの6ペンス玉。このお金でなにを買おうかな? と考えをめぐらせていたところ、バーナビーはおばさんからの手紙をみつけました。このお金は風船を買うためのものだったのです。でも、バーナビーは風船がどんなものか知りませんでした。そこで、バーナビーはともかく町にいってみることにしました。

でかけるさい、バーナビーはちゃんとネクタイをしめてでかけます。なかがわそうやさんの、さっと描いたような絵がたいへん魅了的。また、レイアウトがじつにうまくできています。小学校低学年向き。

2009年12月8日火曜日

ズーム、海をゆめみて










「ズーム、海をゆめみて」(ティム・ウィン・ジョーンズ/文 エリック・ベドウズ/絵 えんどういくえ/訳 ブックローン出版 1995)

水遊びが大好きなネコのズームは、ある日、屋根裏部屋でロイおじさんの日記をみつけました。日記帳には、海にいく道順が書いてありました。いってみると、そこは立派な玄関のお家です。ノックをしてあらわれた女の人に、「海にいきたいんです」とズームがいうと、女の人はこたえました。「どうぞどうぞ、小さな船長さん」。

このあと、あんまり家のなかで待たされるので、海なんてなかったんだと帰ろうとしたズームは、マリアさん(女の人の名前)に、用意ができたわと呼び止められます。そして、マリアさんが大きな「しかけ」をまわすと、部屋のなかに大海原が出現します。絵は丹念に描きこまれた鉛筆画。ちょっとオールズバーグを思わせる作風です。ズームシリーズは3部作。「ズーム、北極をゆめみて」と「ズーム、エジプトをゆめみて」があります。小学校低学年向き。

2009年12月7日月曜日

ひとくい巨人アビヨーヨー

「ひとくい巨人アビヨーヨー」(ピート・シーガー/文 マイケル・ヘイズ/絵 木島始/訳 岩波書店 1987)

昔、ウクレレを弾く小さな男の子がいました。町中でビリリンビリンとやるので、大人にうるさがられていました。その子のお父さんは魔術師で、なんでも消すことができる魔法の杖をもっていました。でも、その杖であんまりなんでも消してしまうので、ついにお父さんと男の子は村八分にされてしまいました。ところで、この町では昔から、アビヨーヨーという名前の大男がいて、人間をぱくぱく食べるんだよと、年寄りが子どもたちに話して聞かせていました。すると、ある朝、お日様のまえに大きな人影があらわれました。

人影はもちろんアビーヨーヨー。男の子とお父さんは、歌と魔法の杖でアビヨーヨーをやっつけ、村人から喝采をうけます。男の子がうたう場面には、楽譜もついています。巻末の解説によれば、ある南アフリカの昔話からヒントを得たピート・シーガーは、この物語をつくり、自分の子どもたちに語り聞かせていたそうです(レコードも出ているよう)。村人の人種や服装がいろいろであるところに、作者の思想が垣間みえそうです。小学校低学年向き。

2009年12月4日金曜日

ロージーちゃんのひみつ












「ロージーちゃんのひみつ」(モーリス=センダック/作 なかむらたえこ/訳 偕成社 1983)

ロージーの家の玄関のドアに札がかかっています。《ひみつを おしえてほしい ひとは この とを 三ど たたくこと》。キャシーが3どドアを叩くと、ロージーがあらわれました。「ひみつってなあに?」とキャシーがたずねると、ロージーがこたえました。「あたしね、もうロージーじゃないの。アリンダっていうすてきな歌手よ。もうじきはじまるミュージカルにでるの。場所はうちの裏庭よ」
「あたしもだれかになっていい?」
「じゃあ、チャチャルーになるといいわ。アラビアの踊り子よ」
さあ、ショーがはじまります。

ショーの演目は、ナイトガウンをはおり、頭にタオルを巻いたチャチャルーの(すぐ終わってしまう)歌と踊り。それから、大きな羽根飾りのついた帽子に長いドレスを着たアリンダの歌です。ところが、アリンダの歌は、消防士の格好をしたレニーの珍入により、すっかりジャマされてしまいます。最後、椅子の上に立ち、ひとりでうたうロージーの後ろ姿がなんともいえません。話はこれで終わりではなく、まだ続きます。子どもの遊びの情景をみごとにすくいとった読物絵本です。小学校中学年向き。

余談。たまたま手元に原書があったので日本語版とくらべてみたのですが、レイアウトが多少ちがっていました。日本語版には絵のないページがあるのですが、原書にそのようなページはありません。日本語にすると言葉数が増えてしまうので、このような措置になったのでしょうか。できれば、レイアウトは原書のままのほうがよかったように思います。

2009年12月3日木曜日

12のつきのおくりもの












「12のつきのおくりもの」(内田莉莎子/再話 丸木俊/絵 福音館書店 2006)

昔、あるところに、夫を亡くして2人の娘と暮らしているやもめがいました。姉は実の娘であるホレーナ、妹は継子であるマルーシカといいました。やもめはいつもホレーナばかり可愛がって、マルーシカにはつらく当たりました。ホレーナは一日中遊んで暮らしているのに、マルーシカは朝から晩まではたらかなくてはなりません。でも、はたらけばはたらくほどマルーシカは美しい娘になっていき、遊び暮らしているホレーナはどんどんみにくい娘になっていきました。そこで、やもめとホレーナはマルーシカを追いだそうと相談し、ある寒い冬の日、森へいってスミレをとってくるようにとマルーシカにいいつけました。

冬にスミレが咲いているはずはありません。マルーシカは凍えて、いまにも倒れそうになりますが、そのとき大きなたき火をみつけます。それは12の月の精たちがしているたき火でした。マルーシカは3月の精のおかげで、スミレを手に入れることができます。丸木俊さんの描く炎は印象的で、とてもあたたかそうです。また、12の月の力であらわれる緑はじつに鮮やか。物語は、後半くり返しになりますが、そのときの物語のはしょりかたが素晴らしいです。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年12月2日水曜日

こびととくつや












「こびととくつや」(グリム/原作 カトリーン・ブラント/絵 藤本朝巳/訳 平凡社 2002)

昔、あるところに正直者の靴屋がいました。せっせとはたらいていましたが、だんだん貧しくなり、とうとう手元には靴一足分の皮のほかにはなにもなくなってしまいました。その皮を靴のかたちに切りとり、翌朝ぬい上げるつもりでいたところ、驚いたことに靴が一足できあがっていました。それも、素晴らしい仕上がりです。その靴は普通より高く売れたので、靴屋は皮を2足分買うことができました。つぎの日も同じことが起こり、靴屋は4足分の皮を買うことができました。それから、毎日同じことが起こり、靴屋はしまいには大金持ちになりました。そして、ある晩、靴屋とおかみさんは一体だれが仕事を手伝ってくれているのか、夜通し見張ってみることにしました。

夜になってやってきたのは2人の裸のこびとたち。2人が靴をつくってくれたと知った靴屋とおかみさんは、こびとのために洋服と靴をつくってあげます。おなじみグリム童話のお話を絵本にしたもの。背景をはぶいた絵が、逆に物語を際だたせることに成功しています。洋服や靴をもらったこびとたちは、歌をうたい踊るのですが、その姿がたいへん愛らしいです。小学校低学年向き。

2009年12月1日火曜日

漁師とおかみさん












「漁師とおかみさん」(グリム/原作 カトリーン・ブラント/絵 藤本朝巳/訳 平凡社 2004)

昔、あるところに漁師とおかみさんがいました。ある日、漁師がサカナを釣り上げると、そのサカナがいいました。「わたしは魔法をかけられた王子なのです。海にもどしてください」。漁師はサカナを海にもどしてやり、あばら屋に帰っておかみさんに話しました。すると、おかみさんはいいました。「それであんたはなにも願いごとをしなかったのかい! もう一度でかけていって、小さい家を一軒たのんでごらんよ」。そこで漁師は海にいき、おかみさんの願いごとをサカナにつたえました──。

おかみさんの願いごとはかなえられ、ふたりは小さな家に住むことができるようになりました。ところが、こんどは石づくりのお城に住みたいとおかみさんはいいだします。その願いもかなえられますが、おかみさんの欲はとどまることを知りません。どんどんと、途方もなくエスカレートしていきます。

絵は、墨で書いたような線に水彩で着色した親しみやすいもの。だんだんと広がっていく不気味な海が印象的です。字の組みは、いささか窮屈な部分があります。また、欲の皮が突っ張ったおかみさんの姿が、途中からあらわれなくなるという演出がとられています。小学校低学年向き。

余談ですが、チェコのアニメーション作家トルンカの作品「金の魚」では、欲にとりつかれたおかみさんが大変印象的に描かれています。また、すこしひねった児童文学に、ルーマー・ゴッデンの「おすのつぼにすんでいたおばあさん」(徳間書店 2001)があります。